寺家ふるさと村と横穴古墳群めぐり:小田急線・鶴川駅(024)―12.5km

[区間6]  (16) 寺家ふるさと村 四季の家⇒(23) 西谷戸横穴墓群

(16) 寺家ふるさと村 四季の家―(17) 熊野神社(寺家)―(18) 熊の池―(19) むじな池―(20) 大池―(21) 妙福寺―(22) 廣慶寺―(23) 西谷戸横穴墓群

(16) 寺家ふるさと村 四季の家

山田谷戸のたんぼに面してある四季の家には、ふるさと村の諸施設の案内(寺家ふるさと村マップも置いてある)や、ふるさと村の農業や自然の紹介などを行っていて、ホールギャラリー(飲食・休憩はできない)や研修室、トイレがある。また、併設されている和食レストラン「寺家乃鰻寮」では、蕎麦、鰻料理が食べられる。

四季の家

  • 開館時間:午前9時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
  • 休館日:火曜日(火曜日が祝日の場合はその翌日以降の最初の平日)、年末年始(12月29日から1月3日)
  • 電話:045-962-7414

寺家饅寮

  • 営業時間:午前11時から午後9時(天候、季節による変更あり)
  • 定休日:火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始・夏季・臨時休業あり
  • お問合せ:電話:045-962-7338

古くよりこの地では農業が営まれ、天水に依存した田んぼのために、各谷戸の奥に6か所の用水池がつくられていた。
しかし高度成長によって都市開発の波が押し寄せ、同時に、農業従事者の減少と高齢化が進み、農業の先行きが見えなくなっていた。美しい景観を形作っていた雑木林も、薪炭林としての利用がなされなくなるとともに、手入れする人もなく、ザサが生い茂る薮山と化していた。
そうした状況に横浜市が構想したのが、地域の農業振興とともに、山林や農地という自然環境の保全活用を合わせた「ふるさと村」づくりだった。この構想は、昭和56年策定の横浜市の21世紀プランの中に位置づけられ、「ふるさとの森」や昭和62年「四季の家」など各種の施設が整備された。

寺家ふるさと村:(17) 熊野神社(寺家)―(18) 熊の池―(19) むじな池―(20) 大池

山田谷戸熊野谷戸にはさまれて、寺家ふるさとの森がある。2つの谷戸では水田が何枚も耕されている。
2つの谷戸が交わったところの高台に熊野神社がある。急な階段を上ってお参りしよう。
熊野神社の創建は不明だが、武蔵風土記に、9尺2間の社(熊野社)が寺家村熊野谷にあると記録されているそうだ。慶應3(1867) 年に建立された社殿が平成13年4月13日に不審火によって全焼し、59戸の氏子の寄付金で現社殿が再建された。

寺家ふるさとの森には、熊野池むじな池大池の3つの池があって、いずれも雨水をためる農業用の池だ。熊野池は釣り堀として営業している。
森のなかには散策路が整備されている。自由に散策してみよう。このあたりは野鳥の宝庫でもある。「みどりの鳥」というサイトでは、このあたりで撮影した鳥たちの写真がたくさん掲載されている。
森には入らず、熊野神社から山田谷戸に沿って田んぼを眺めながら (Googleマップの青線)、のんびり妙福寺に向かうのもいいだろう。
むじな池と大池のあいだには梅林があり、2月ごろは、耕作前の田んぼとウメの花の組み合わせがおもしろそうだ。

森のなかを通って大池へ向かうのはやめて、寺家川を越え、山田谷戸に沿って田んぼを見ることにした。
田んぼの先に、梅林が見える。その右奥に大池もあるが、寄らずに妙福寺へ向かう。
ゆるい上り道を行くと、竹林が見え、昼でも薄暗い竹林の切通しがあらわれる。そこを抜けると、田んぼのある光景が目にはいる。
下三輪玉田谷戸横穴墓群に立ち寄ったときに「杣谷戸」方面という標識があったが、そこへの分岐を示す標識が右に見え、ここが杣谷戸だと認識した。
やがて住宅が見えてくると、妙福寺はすぐ先だ。

(21) 妙福寺

車道から階段をのぼると1854年ごろに建てられた高麗門(山門)がある。2012年6月の台風で倒壊し、解体再築された。山門をくぐると、長い参道の先に鐘楼門が見える。1746年に建てられ、当時の屋根は茅葺きだった。1672年に池上本門寺から移築された祖師堂の写真は、露出オーバーで掲載できない。
境内に掲示された由緒によると、

妙福寺は身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗で、明徳2 (1391) 年、日億上人によって開かれ、山号を長祐山という。池上本門寺・鎌倉妙本寺両山の旧末寺である。
 ……
境内は約四千坪におよび、山門・鐘楼門・祖師堂など諸堂宇を今なおととのえている寺である。

疲れた方は、1時間に1、2本だが、近くのバス停「妙福寺前」を通る鶴川駅行きバスを利用できる。

(22) 廣慶寺

曹洞宗の廣慶寺は、縁起によると、「西暦1572年の安土桃山時代に、神奈川県川崎市高津区下作延の、円福寺第二世「最安慶初大和尚」さまによって開かれ」たとのこと。
車道を歩いていると、前方の田んぼを横切って、塀のような建造物が見えたが、これは1994年に整備された参道に、2003年、十二支と守り本尊が配置されたものだった。

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