鶴ヶ峰から帷子川(かたびらがわ)水源を歩く(518-2):12km

目 次
コースの特徴
- 横浜湾に注ぐ帷子川(かたびらがわ)中流域から水源に向かって、高低差の少ない舗装道路を歩く12.5kmのコースです。
- コース前半は、かつての帷子川の原風景を残す緑道、その支流にある白根不動尊の森、滝や紅葉を楽しめる一帯を歩き、標高差約50mを上り下りします。
この前半部は、「畠山重忠(はたけやま・しげただ)終焉の地・鶴ヶ峰を歩く(518-1):6km」 コースとほぼ同じところを歩きます。 - コース後半は、日本で最初に開設された近代水道の導水路である水道道をたどり、帷子川水源に立ち寄ったあと若葉台団地まで歩く、ほぼ平坦なコースです。途中、3か所の寺院を訪れ、高さ26mの 「大貫谷戸水路橋」の下を通ります。
- かつて大雨になると氾濫を繰り返していた帷子川は大規模な治水工事で河道が変わり、「源流」 も、団地造成に伴い近くに移されました。

コースの概要
相鉄線・鶴ヶ峰駅→帷子川親水緑道→用賀下橋→白根神社・白根不動[白根神社鳥居→白根福授白蛇弁財宮→白根不動尊→小瀧不動尊→白瀧龍神→白糸の滝→白根神社]→白根公園→ループ歩道橋→横浜市旭図書館→白根公園(先ほどとは別の公園)→鶴ヶ峰配水池→鶴ヶ峰本町第三公園→鶴ヶ峰稲荷神社→鶴峰橋→鶴ヶ峰公園→鶴ヶ峰公園 水道道口→鎧の渡し緑道[鎧の渡し・首洗い井戸→畠山重忠公首塚]→畠山重忠公碑・さかさ矢竹→今川橋→鶴ヶ峰本町公園→(愛甲三郎隠れ穴跡)→清来寺→御殿橋→水道道プロムナード→水道道トロッコ遺構→福泉寺→長源寺→大貫谷戸水路橋→上河井町小川アメニティ→帷子川水源→若葉台公園入口→若葉台団地(商店街)→上り階段→若葉台中央(バスステーション)
コースの区間距離
ル ー ト | 区間距離 | 累計距離 |
相鉄線・鶴ケ峰駅北口 | 0m | |
用賀下橋 | 1,000m | 1,000m |
白根神社鳥居 | 600m | 1,600m |
旭図書館前 | 840m | 2,440m |
鶴ヶ峰公園 水道道口 | 1,120m | 3,560m |
今川橋 | 790m | 4,350m |
清来寺 | 1,450m | 5,800m |
御殿橋 | 1,200m | 7,000m |
水道道トロッコ遺構 | 960m | 7,960m |
福泉寺 | 450m | 8,410m |
長源寺 | 1,110m | 9,520m |
大貫谷戸水路橋 | 760m | 10,280m |
帷子川水源 | 940m | 11,220m |
若葉台中央(バスステーション) | 980m | 12,200m |
コースの地図
パソコンでご覧の方は、グーグルマップの右上にある、切れ目が入った正方形マークをクリックすると、大きな地図になります。
本コースを実地に調べたとき、今川橋~福泉寺間は、横浜市が作成した「横浜市作成- 帷子川コース地図_20181113.pdf」に従い、帷子川に沿った道を歩きました。この道は、交通量が少ないという利点はあり、桜並木も部分的には通りますが、住宅が立ち並ぶところが多く、正直に言って、淡々と歩くだけのところでした。
そのため、上記グーグルマップでは、歩行距離が若干短縮されるコースを紹介しました。
やはり横浜市が作成している「横浜市トップページ > 暮らし・総合 > まちづくり・環境 > 道路企画・計画等 > 健康みちづくり推進事業 > 健康みちづくり推進事業> No.8【旭区】帷子川の水源を訪ねる自然と歴史のルート(PDF:3,576KB)」は、コース全体を見渡すのに役立ちます。
コース説明
多摩・三浦丘陵 (いるか丘陵)
高尾山麓から三浦半島まで連なる「多摩・三浦丘陵」を、その形から「いるか丘陵」と名づけ、ここを都市型国立公園・首都圏グリーンベルに設定しようと提案している「いるか丘陵ネットワーク」があります。
また、多摩・三浦丘陵の緑と水景に関する広域連携会議も、多摩・三浦丘陵を楽しむ!知る! 「多摩・三浦丘陵トレイル~13自治体をつなぐ緑と水の環~」 という活動を行っています。
今回歩く帷子川上中流域は、多摩・三浦丘陵の中ほどに位置する緩い丘陵地帯の谷筋です。多摩・三浦丘陵トレイルサイトの「5 黒川~新治連携軸:田園と緑園をめぐる環」「6 舞岡~三ツ沢連携軸:まち山とまち並みをめぐる環」の両方が重なる地域です。
「鶴ヶ峰」という地名、帷子川、畠山重忠について
「畠山重忠(はたけやま・しげただ)終焉の地・鶴ヶ峰を歩く(518-1):6km」 をご覧ください。
帷子川親水緑道、白根不動・白根神社
「畠山重忠(はたけやま・しげただ)終焉の地・鶴ヶ峰を歩く(518-1):6km」 を御覧ください。
鶴ヶ峰配水池

この場所には、相模湖系統の原水を浄水処理し、同敷地内の配水池から市内約 8万4,000 世帯へ給水していた「鶴ケ峰浄水場」がありました。
施設の老朽化・耐震性の問題から、横浜市水道局の浄水場・配水池再編計画に沿って整備が行われ、耐震性を有し、停電にも対応できる「鶴ケ峰配水池」が平成29年に完成しました。現在、相模湖系導水路改良事業の工事が行われています。
横浜水道(水道道)については、旭ガイドボランティアの会の「横浜水道の歴史」が参考になります。。
鶴ヶ峰稲荷神社、鶴峰橋、鶴ヶ峰公園

帷子川はこのあたりで大規模な治水工事と宅地造成工事が行われたようで、直線の幅広い河道が通り、団地が出来、緑のある公園になっています。
帷子川に架かる鶴峰橋に向いて祀られている鶴ヶ峰稲荷神社には、大リーガーの大谷翔平選手が子どものころお参りに来ていたそうです (はまれぽ.comの 「あの大谷翔平選手が参拝していた神社が旭区鶴ヶ峰に!? 噂の神社へ行ってみた」)。
鎧の渡し・首洗い井戸、畠山重忠公首塚、畠山重忠公碑・さかさ矢竹

「畠山重忠(はたけやま・しげただ)終焉の地・鶴ヶ峰を歩く(518-1):6km」 を御覧ください。
今川橋、水道道
畠山重忠公碑・さかさ矢竹は、水道道に面しています。
水道道は、明治20 (1887年) 年、日本で最初に開設された近代水道の導水路 (道志川・相模川合流地~野毛山浄水場間43km) です。英国から輸入された導水のための鋳鉄管は、水道管埋設道路に敷いたトロッコでも運ばれました。
コースは、いったん水道道を離れ、帷子川の南に回り込み、今川橋で帷子川を渡って川の北側を歩き、ふたたび水道道に合流します。

「横浜市トップページ > 暮らし・総合住まい・暮らし > 水道・下水道水道 > 横浜水道の歴史 > 横浜水道のあゆみ(概要)」 にその歴史の説明があります。
「横浜で暮らそうTOP > life > 横浜の水道道を知っていますか?」 「横浜市水源系統図 横浜市トップページ >暮らし・総合 > 住まい・暮らし > 水道・下水道 > 水道 > 水道・水質情報 > 水道水ができるまで > 横浜市の水源」も参考になります。
(愛甲三郎隠れ穴跡)
鎌倉時代前期の武将である愛甲三郎 (季隆) は弓矢の名手として知られ、元久2 (1205) 年畠山重忠の乱で幕府による畠山重忠討伐軍に加わります。
二俣川合戦で、双方は弓の戦いも刀剣の戦いも決着がつかなかったところ、夕方になって愛甲三郎の放った矢が重忠に命中し、三郎はその首を切り、幕府軍大将の北条義時の陣に献上しました。
凡弓箭之戰。刀劔之諍。雖移尅。無其勝負之處。及申斜。愛甲三郎季隆之所發箭中重忠〔年四十二〕之身。季隆即取彼首。
(吾妻鏡より)
愛甲三郎は、帷子川を眼下にして鶴ヶ峰方面を見通せる東面の高台にある穴に隠れて、重忠を狙うチャンスをうかがっていたと伝えられています。
グーグルマップに記された愛甲三郎隠れ穴跡へと、急な階段を上っていきましたが、跡らしい場所を特定できませんでした。マンション建設工事のときに崩されたようです。

清来寺

浄土真宗本願寺派の寺院です。古くは相州愛甲郡厚木村にあり、天台宗でした。安貞元(1227)年にこの地に移ってきたと伝えられます。
隣にある今宿南小学校建設に伴う事前調査で、清来寺墓地裏遺跡から縄文時代の竪穴住居址13軒が見つかり、このあたりに集落のあったことが分かります。
御殿橋

「御殿橋」は、平塚と江戸とを直線で結ぶ最短ルートである「中原街道」の橋で、中原街道は東海道の裏街道でした。
「御殿橋 橋名の由来」 によると、徳川家康は江戸入城のとき (天正18〔1590〕年)、この橋を通行したといわれています。家康は、その後この橋を改修し、鷹狩りや民情視察などでよく利用したようです。橋の名称は、徳川家康にちなんでつけられました。
また、江戸時代初期 (慶長18〔1613〕年) に家康が相州高座郡の中原御殿(平塚市)へ行く途中、この付近でお茶をたてたので、このあたりは「御殿丸」という字名がつけられました。
水道道プロムナード

水道道は、1887年に日本最初の近代水道として創設されましたが、運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用し水道管を敷設しました。横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です。
水道道の記憶を伝えるため、八王子街道と水道道のあいだの細い道を「水道道プロムナード」として整備しました。
水道道トロッコ遺構
鉄管や資機材の運搬用としてトロッコを使用し水道管を敷設したときのレールを保存してあります。

福泉寺
立派な山門を構える福泉寺は、曹洞宗の寺院です。横浜市緑区長津田にある大林寺の三世顕堂長察大和尚が開山したと伝えられていますが、正確な年代は不明で、江戸時代初期と思われます。
私は寺院南側の墓地の横から境内にうかがいましたが、その手前にある信号「旭高校入口」から吹上通りへ左折すると山門前です。

福泉寺から先に進み、途中で疲れた方は、グーグルマップに記したコースをバスが12~15分置きに通っています。鶴ヶ峰駅方面へ戻ることも、あるいは若葉台バスターミナル方面へ行くこともできます。
長源寺

天平11 (739) 年に行基が開山し、その後、永長年間の1096年に八幡太郎義家が修理を加え鎧を納めたと伝えられています。
永正年間 (1504-20年) に印融が中興開山し、真言密教の道場となりました。
印融は、港北区鳥山町の三会寺や鶴岡八幡宮で学んだ後、高野山で修業し、真言密教の復興に努めた高僧です。印融は永正10 (1513) 年に、本尊の木造 大日如来像を寄付しました。
大貫谷戸水路橋
大貫谷戸水路橋が目に入った瞬間、いまはなき餘部橋梁(あまるべきょうりょう)を思い出しました。真っ赤に塗装された通称「余部鉄橋」は山陰本線の鉄道橋で、明治45 (1912) 年に開通した全長310m・高さ41.5mの鋼製トレッスル橋ですが、2010年に運用を停止し、新しい橋梁に架け替えられました。

大貫谷戸水路橋は、戦後、横浜の水需要が増大するのに対応し、水道道を補完するために新たに建設された水道用の水路です。この鶴ヶ峰ルートは、尾根稜線の傾斜を利用したU字溝「開渠方式」によって導水しており、谷戸は水路橋で越えています。
大貫谷戸水路橋は、延長414m(うち鉄鋼水路306m)・高さ23mのトレッスル橋脚の水路橋で、水が流れる部分は高さ2.7m、幅2.2mです。1950年に着工し、1952年に完成しました。

一般には渡ることができないこの橋の上の様子を、はまれぽ.comの「大貫谷戸水路橋の上からは何が見える?」がレポートしています。
帷子川水源

「上川井町小川アメニティ」の人工の小川に沿って900mすすむと「帷子川水源」という標識があらわれます。「水源」には排出口の開いた穴のついた岩があって、水が流れ出ています。
帷子川の源流域は若葉台団地造成工事の際に失われました。ウィキペディアの「帷子川」の項によれば、「湧き水のように見えるが、これは人工河川用の揚水ポンプであり、自然の源泉ではない。その側にコンクリートで河岸の固められた細い本流があり、それを遡ると源泉にたどり着く」とあります。
若葉台団地

若葉台団地は神奈川県住宅供給公社が1979年から分譲を開始している計画人口2万5,000人 (居住人口1万5,000人弱) の中層棟・高層棟からなる団地です。丘陵地帯の尾根・沢が入り組んだ地形に地形に合わせ、色や外見が異なる塔状・板状の建物が建てられています。
若葉台公園入り口から森の中を道なりに進むと広い広場があり、ここは大雨のときの調整池にもなるようです。イトーヨーカドーや商店が並ぶショッピングモールに接続しています。
若葉台中央(ショッピングモール)からの帰り方
ショッピングモールを奥へと進み、正面の郵便局や銀行が入っているビルを左に回り込み、ビルの外階段を上るとバスステーションの広場に出ます。
バスステーションには、横浜市営バス、東急バス、神奈川中央バス、相鉄バスが乗り入れていて、
- JR横浜線・横浜市営地下鉄グリーンラインの《中山駅前》
- JR横浜線の《十日市場駅前》
- JR横浜線・東急田園都市線・東急こどもの国線の《長津田駅》
- 東急田園都市線の《青葉台駅》
- 東急田園都市線の《南町田グランベリーパーク駅》
- 相鉄本線の《鶴ヶ峰駅》
- 相鉄本線の《三ツ境駅北口》
- 《横浜西口》
へと、ひっきりなしに出発しています。青葉台駅行きも途中立ち寄る停留所がちがう路線があり、どのバスが早く目的地に着くのか、乗車前に確認するとよいでしょう。
時刻表は、「一般財団法人 若葉台まちづくりセンターHOME > 横浜若葉台について > バス時刻表」をご覧ください。