寺家ふるさと村と横穴古墳群めぐり:小田急線・鶴川駅(024)―12.5km

区間ごとのコース説明

[区間1]  (01) 小田急線・鶴川駅北口⇒(07) 七面大明神

(01) 小田急線・鶴川駅北口―(02) 開戸親水ひろば―(03) 高蔵寺―(04) しゃくなげ園―(05) 熊野神社(上三輪)―(06) 沢山城跡―(07) 七面大明神

これから向かうのは小田急線の南側だが、きょうは、にぎやかな北口から出発する。8月の太陽は、午前9時半だというのにジリジリト照りつける。

小田急線・鶴川駅北口改札口から、小田急線をまたぐ歩道橋への階段まで:黄色矢印を通ったが、赤矢印のほうが近道だった

駅前にはコンビニもあるが、総菜屋が店を開いていて、3個135円という大サービスのイモコロッケを非常食代わりにゲット。新宿方面に進んで、駐輪場の奥から小田急線を跨ぐ岡上跨線橋(こどもの国通り)の下をくぐり、跨線橋(車道)と並行する歩道橋に上る階段へ抜ける道がある。そうとは知らず、鶴川街道とこどもの国通りの交差点を渡り、歩道がないので跨線橋には入らず、その下を歩き、突き当りにある階段を上って、小田急線をまたぐルートをとってしまった。

小田急線をまたぐ歩道橋と、並行している岡上跨線橋(こどもの国通り)

小田急線をまたぐとすぐ、階段を下って、下の道路に出る。鶴見川を宝殿橋で渡り、右岸を歩く。このあたりは、東京都町田市と神奈川県川崎市(飛地)麻生区が複雑に入り組んでいる。鶴川駅の南北は町田市だが、岡上跨線橋を越えると川崎市だ。
鶴見川は、緩く曲がりくねっている。宝殿橋の次の岡上橋を過ぎたあたり、曲線の外側にあたる護岸壁は、反対側の護岸壁に比べて1m以上高くなっているように見える。大雨が降ると水かさが増して、流れの外側は水が盛り上げるように激しく護岸に当たるからなのだろう。川の様子を監視するカメラ、無線塔も見える。

宝殿橋を渡り、次の岡上橋を過ぎたところ
宝殿橋を渡り、次の岡上橋を過ぎたところ
(02) 開戸親水ひろば、鶴見川

やがて、開戸親水ひろばが見えてくる。鶴見川の流れまで下りることができ、水が少ないときは対岸まで渡ることができる。水鳥たちが遊んでいる。ここは鶴見川に支流が合流するところでもある。

開戸親水ひろば

鶴見川は町田市上小山田町から流れ出て、横浜市鶴見区の河口で東京湾に注ぐ、フルマラソンの距離にほぼ等しい全長42.5 kmの川で、古くから「暴れ川」として恐れられてきた。特に流域の市街地化が進んでからは、大雨が降ると氾濫をたびたび繰り返し、水害に見舞われていた。このため、全国に先駆けて1979年から「総合治水対策」に取り組んできた。いま、川沿いを散策する人の数は、鶴見川が全国の川のなかで最も多いそうだ。

精進場橋から、開戸親水ひろばを振り返る

ツツジの植え込みを見ながら、次の精進場橋まで歩き、橋の上から来た道を振り返ると、開戸親水ひろば、鶴見川に合流する支流がよく見える。

精進場橋から鶴見川といったん離れ、バスも通る道を右折する。このコース最初の上り坂だ。坂道を上る。
道は、右へカーブをしながら登っていく。
最初の信号を過ぎた先で坂道は終わり、見通しがよくなったところで、左側に「高蔵寺」の案内が見え、その路地を左折する。2番目の信号の手前だ。

(03) 高蔵寺―(04) しゃくなげ園

高蔵寺の総本山は奈良県桜井市にある真言宗豊山派長谷寺で、本尊は金剛界大日如来。足利将軍家代々の武運長久祈願所として、康安2(1362)年4月に開山した。
古来、三輪(奈良県)の人々が移り住んできた三輪の里に寺院を構える花のお寺で、緑とせせらぎに包まれ、四季を通じて花や草木:

  • 春は3月末から5月中旬まで咲くシャクナゲを中心に、ボタンミツバツツジミズバショウなど
  • 夏は大賀ハスサギソウなどの水辺の花、
  • 秋はカエデイチョウが色づき、
  • 冬は雪吊りを施した松ロウバイ寒ボタン

を楽しむことができる。
東国花の寺百ヶ寺」東京第5番札所で、石洋石楠花で親しまれ「石楠花寺」と呼ばれている。
参拝した日は庭園の手入れをされていたご住職が、花の種類を教えてくれました。

(05) 熊野神社(上三輪)

熊野神社は、立派な本殿を構えている。本殿に向かって左側に、アカガシの巨木が、デンと控えている。右側には、熊野速玉大社から境内の天然記念樹「梛(なぎ)の木」種子をいただき育てた梛の木が植えられている。鳥居の脇には「蚕蛹供養」と彫られた石碑が、往時の養蚕で栄えた時代を思い起させる。

熊野神社
熊野神社

元慶元年(877)大和の国城上郡三輪の里よりの勧請との伝承がある。明和4年(1767)11月、別当高蔵寺法印亮恰により社殿造営され、鎮守の神、そして氏子の崇敬の的となり、嘉永7年(1854)8月、石像の三尊仏を造立して再建を図る。その後、昭和4年大きく増改築が施され、現社殿は昭和四48年9月氏子の総意により造営される。……本殿は平成2年2月、町田市の有形文化財に指定され、この建築は江戸中期のものと聞き及ぶ。ご神木のアカガシは樹齢300年を経て、市の銘木として指定を受くる。……

(現地案内板より)

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