カタクリ・サクラ・湧水の白子川中流域を歩く:大泉学園~和光市駅 (507)―10km
[区間3] 土支田八幡宮~もみじやま公園
土支田八幡宮を出発し、白子川右岸に沿って不動橋まで戻り、橋を渡ったら白子川の北側へ向かいます。北側の崖線は川から100~150mぐらい離れていて、そのあいだは平らな土地です。宅地開発される前は、水田が広がっていたと思われます。大昔にさかのぼると、白子川の流れは、いまより北側だったのかもしれません。
中里の富士塚は、そんな崖線のすぐ下にあります。1合目から九十九折れの急な登山道を1合ずつジグザクにのぼり、8合目からのさらなる急登を上りきると、剣が峰です。山頂からは、南の方向の眺望が開けます。東京都内や周辺にはたくさんの富士塚がありますが、この中里の富士塚は、斜度と言い雰囲気と言い、登り甲斐のある富士山のひとつだと思います。
不動橋
なぜ「不動橋」という名前か?
不動橋を渡って真っすぐ行くと、T 字路で薬局に突き当たります。その薬局の前に祠があって、右側は不動尊です。
これは推測ですが、 このお不動様に由来して不動橋になったのかもしれません。
八坂神社
鳥居を2つくぐり、長くつづく参道を進むと階段があり、上ったところに拝殿があります。八坂神社がいつ創建されたかは不明とのこと。
本殿左側には稲荷神社 (祭神 稲蒼魂命)、浅間神社 (祭神 木木花咲耶姫)、右側には御嶽神社 (祭神 国常立命) があります。
さらに右側には、中里の富士塚が並んでいます。
中里の富士塚
練馬区トップページ > 観光・催し > ねりまの案内 > ねりまの歴史を知る > 練馬の歴史と文化財 > 指定・登録文化財 > 中里の富士塚 によると、中里の富士塚は、
南側基部よりの高さが12メートル、径が30メートルあり、区内でも大きな部類に入ります。石碑の年記や言い伝えなどから、明治初期に丸吉講によって築かれたと言われていますが、文政5年(1822年)の石碑があることから江戸時代すでにその原型があったと思われます。合目石に沿って頂上まで登ると、36基の石造物があります。中でも道祖神の碑は、区内で唯一のものです。
とのことです。きれいに刈り込んで手入れしてあるツツジの花が咲いたら、華やかな富士山が現れることでしょう。
荘埜 (ソウノ) 園(柿のもぎ取り)
柿のもぎ取りができます。詳しくは、レッツエンジョイ東京トップ > 埼玉 > 川越・所沢・和光 > 和光市駅 > 荘埜園 をご覧ください。
白石農園 直売所
白石農園は、「350 年続く農家です。約 100 種類の野菜とブルーベリーを生産販売してます。野菜は近隣のスーパーで販売されているほか、練馬区内の飲食店へも納品しております。また、約 120 区画ある体験農園やブルーベリーの摘み取り農園、学校給食・子供食堂への食材提供、小中学校の体験学習の受け入れなどの活動もしております」とのことです。
そしていま、《都市農業と福祉の振興を目指して東京産アスパラガス》というプロジェクトをすすめています。詳しくは、下記リンクをご覧ください。
https://www.facebook.com/nerima.shiraishifarm/
https://twitter.com/nerinouba?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
練馬区立大泉町もみじやま公園
外環道の上を横切りますが、左側、外環道の手前と過ぎたところに、もみじ山公園への入口があります。どちらの入口からでも、外環道に沿って奥にすすむと、広いグラウンドや木々が立ち並ぶ公園に入っていきます。ここは高台で、西と南への眺望が開けています。大泉学園駅から白子川に沿って歩いたところも、一望できます。都営大江戸線が光が丘駅から延伸される計画があり、もみじ山公園の下に、駅の予定地という看板が立っています。
★和光市駅まで歩く方は、この公園を素通りして、先に進まれてもいいでしょう。
★疲れた方は、公園を下ったところに大泉学園駅行きのバス停「もみじ山」があります。西武バス<泉39> <泉39-1> <泉39-3> で、和光市駅南口あるいは長久保が始点です。11時から14時台は、1時間に4本ないし5本運行されています (15時台は3本)。