山と海:湘南平と大磯の浜辺を歩く (028)-11km

大磯駅方面との分岐⇒白岩神社⇒旧吉田邸⇒旧滄浪閣の角⇒こゆるぎ緑地⇒大磯こゆるぎの浜⇒鴫立庵⇒JR大磯駅

大磯駅への分岐は、右へ、小さな用水路沿いの小径を進む。
砂浜を歩いて大磯駅へ戻るコースで、あと約6kmの距離がある。

【短縮コース】疲れた方は、この分岐を左へ曲がり、大磯駅へ向かうのがいいだろう。左へ道なりに進み、東海道本線の線路をくぐったら線路に沿って左へ行くと大磯駅だ。
ちょっと寄り道になるが、旧島崎藤村邸を見学してから大磯駅に向かうのもおすすめだ。
こちらは、分岐を左へ曲がって、すぐ右折し、まっすぐ東海道本線の線路に向かって下っていく。線路をくぐる歩行者用の地下道は、「ちかみち」と読むそうだ。たしかに、線路を横断する近道だ。地下道を出ると、旧島崎藤村邸はすぐだ (利用料金=無料/営業時間=9:00~16:00/定休日=月曜日(祝日の場合は開場)・年末年始(12/29~1/3))。旧島崎藤村邸を出て、大磯駅には5分で着く。

大磯駅方面との分岐から白岩神社へ

大磯駅への分岐から入る小径は、ほんの100mしかない区間だが、かつての別荘地の雰囲気が残り、タイムスリップしたかのようだ。
小径を抜けると、高麗山公園との境に沿って建てられている住宅街を通って白岩神社へ。

白岩神社は、「後の山が、海の方から眺めると白く光って見え白岩山と呼んでいたので」こう称えられたと、現地案内板に記されていた。神社の裏山を仰ぎ見たが、大木が茂っていて、どの岩が白岩なのか分からなかった。
裏山に登って、それらしき岩を見た方のブログがあります (【磐座・巨石・神社】曽我五郎足跡石・白岩神社@神奈川県中郡大磯町西小磯)。

白岩神社の参道では、「毎年三月七日の大祭には社家七人の者弓矢を持って社殿を三周して石段を下り鳥居前にて矢を射る。昔は乗馬姿にて流鏑馬の式を為したるも現今は羽織、袴、白足袋姿で流鏑馬を斎行する」(神奈川県神社庁ホームページ より) 。例大祭は、3月上旬の日曜日に行われるようだ (大磯町ホーム > 観光情報「イソタビ」はこちら > 巡る > ページマップ > 白岩神社例大祭(歩射))。

確認していませんが、白岩神社参道は、東海道(国道1号線)まで伸びていたのではないかという気がします。というのは、この先、旧吉田邸から旧滄浪閣まで東海道を歩くとき、途中の左側に鳥居があって、そこから高麗公園の山のほうに参道が伸びているように見えたからです。地図を見ると、東海道線の線路に分断され、神社まではつながっていないようです。

白岩神社からは、舗装道路で、農地と宅地の境を淡々と歩く。途中、東海道本線の線路をくぐって南側へ渡る。
出てきた広い道は国道1号線(東海道)で、道の両側は 「旧三井財閥別邸跡と旧吉田茂邸地区を利用した日本情緒あふれる」大磯城山 (じょうやま) 公園だ。国道の先に、富士山が見えた。

白岩神社から旧吉田邸

大磯城山公園は、旧三井別邸地区7ヘクタール (約21,000坪)、旧吉田茂邸地区3ヘクタール (約9,000坪) から成る神奈川県立の都市公園である。旧吉田茂邸地区の開園は2013年、大磯町郷土資料館別館である旧吉田茂邸の開館は2017年で、最近のことだ。

大磯城山公園の両地区とも、利用料は無料休園日は年末年始のみである。

旧吉田茂邸地区旧吉田茂邸(大磯町郷土資料館別館)

吉田茂は、昭和21 (1946) 年5月から5次にわたって内閣総理大臣として内閣を組閣し、日本国憲法制定、サンフランシスコ講和条約および日米安全保障条約調印など、戦後の日本を方向づける重要な制度をつくった。
昭和29 (1954) 年、強制捜査が始まった造船疑獄で指揮権発動を行って政権与党の幹事長・佐藤栄作の収賄罪による逮捕を延期させ、また警察法全面改正をめぐっては議長に議院警察権を発動させて国会に警官隊を初めて投入させるなどをしたが、同年末、内閣総辞職となった。
1963年に政界を引退したあとも、隠然たる影響力を保持して 「大長老」などと呼ばれ、この吉田邸には「大磯詣 (もうで)」をする政財界の要人などが訪れた。

旧吉田茂邸地区の庭園は無料で入園できる。
国道から正門を入って駐車場の横にバラ園があって、春は4月末~5月中旬、秋は10月に開花が見られる。
園内の管理休憩棟には多目的スペースがあり、休憩できる。

旧吉田は大磯町郷土資料館別館になっていて、邸宅内の見学は有料だ。
開館時間:午前9時から午後4時30分まで(入館は午後4時まで)
休館日:月曜日(祝日または休日にあたる場合は開館し、翌日以降最初の平日が休館)/毎月1日(館内整理日、1日が休館日の場合は翌日以降最初の平日が館内整理日となる)/年末年始(12月29日~1月3日)
観覧料:おとな510円

疲れた方は、旧吉田茂邸地区の近くのバス停「城山公園前」から、大磯駅・平塚駅行のバスで、東海道線の駅へ行けます。

旧吉田邸に沿って海岸に出ようとしたが行き止まりで断念。
国道1号線 (東海道) を大磯駅方面へ向かって歩きだし、旧滄浪閣 (そうろうかく) の角まで来た。東海道は、この先、松並木が見える。

滄浪閣・明治記念大磯庭園

滄浪閣は、初代内閣総理大臣であり、明治憲法草案起草の中心人物だった伊藤博文の本邸で、当時の大磯には、山縣有朋や西園寺公望、大隈重信などの別荘が150戸以上あったそうだ。
伊藤の死後、朝鮮の李王家に譲渡されたが関東大震災で倒壊し、昭和元 (1926) 年に再建された。
さらに時代は下り、昭和26 (1951) 年に西武鉄道が取得し、大磯プリンスホテルの別館として開業していたが、平成19 (2007) 年その営業が終了した。

2017年、国は、滄浪閣および周辺の大隈重信邸、陸奥宗光邸、西園寺公望邸を大磯邸園として再整備、保存活用する方針を閣議決定し、取得した。
大磯庭園の整備公開は部分的に始まっているが、滄浪閣の部分は遅れていて、訪れたときは大規模な整備工事が始まったばかりのようだった。

大磯庭園は「明治記念大磯庭園」として令和2(2020) 年度に第1期開園し、現在、旧大隈重信別邸・旧古河別邸及び陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸の建物外観と庭園の見学ができる。
第1期開園の入園料は無料。休園日は、毎週月曜日と年末年始 (12月29日~1月3日) で、月曜日が祝祭日の場合は開園し、翌日が休園。開園時間は9:00~16:30 (最終入園時間は16:00)。
なお、全面開園は令和7(2025) 年度の予定。旧大隈重信別邸・旧古河別邸及び陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸は、令和4(2022) 年度から建物の改修工事を予定しているとのこと。
詳しくは、明治記念大磯邸園ホームページ をご覧ください。

旧滄浪閣の角から海岸に向かい、かつて大別荘があったころの面影を残す細い道を進む。両側は松林だ。
突き当りを右、「こゆるぎ緑地」に入り、植林されたてのような若い松の林の間を縫って緑地の端まで行くと、左に海岸へ出られそうな道がある。
西湘バイパスを、車が高速で行き交っている。その自動車専用道路をくぐると、突然、海が広がった。

大磯こゆるぎの浜

こゆるぎの浜は、砂浜が長く続き、海の景色が美しい。
湘南平をまわってここに着いた頃は、西日が海面にキラキラ反射し、波の音が心地よく繰り返される。
太陽を背に歩いていくと、行く手に海にそそぐ小さな川がある。そこから、西湘バイパスのガードをくぐり抜け、まっすぐ進むと、国道1号線に出る。

国道1号線 (東海道) に出た左角が鴫立庵 (しぎたつあん) だ。

鴫立庵 (しぎたつあん)

鴫立庵は、「300年以上続く俳諧道場湘南発祥の地を示す史跡」がある。
江戸時代初期の 1664 年に小田原の崇雪が、西行の歌にちなみ、昔の沢らしい面影を残す景色の良いこの場所に鴫立沢の標石を建てたのが、庵の始まり。
崇雪が建てた鴫立沢の標石の裏に「著盡湘南清絶地」と刻まれているのが、「湘南」という言葉の始まりといわれている。
鴫立庵には、五智如来像など80体以上の石造物が安置されている。

鴫立庵について、詳しくは 鴫立庵ホーム > 史跡・歴史案内 をご覧ください。

■利用時間=基本開庵時間  9:00~16:00
■休庵日=年末年始(12月29日~1月3日)
■入庵料=おとな301円

鴫立庵を出て、近くの信号「鴫立沢」から北へ坂を上っていけば、大磯駅前に到着

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