山と海:湘南平と大磯の浜辺を歩く (028)-11km

コースポイント紹介 (サムネイル写真は、クリックすると拡大します)

JR東海道本線・大磯駅⇒旧東海道入口⇒旧東海道松並木⇒東海道本線地下道出口⇒高来神社

東海道本線の列車の運転席を通して富士山が見えると、気分がハイになってくる。
やがて右側に、これから登る高麗山が見えてくると、もう大磯駅だ。
大磯駅の改札口を出ると、駅前には大正時代の洋館を思わせる建物が見え、異国に来たようだ。
左側へ道なりに、国道1号線(東海道)に向かって坂を下る。

国道1号線に出て東京方面へ歩いていくと、斜め左に大きな松の松並木が見えてくる。旧東海道松並木だ。

旧東海道杉並木

江戸時代に整備された東海道には53の宿場があった。
大磯宿は、東海道五十三次の8番目の宿場。江戸時代には旅籠が66軒あったという。

途中で東海道本線の線路を歩行者専用のトンネルでくぐり抜け、その先も松並木が続く
「江戸見附」「化粧坂の一里塚」「化粧井戸」「虚空蔵堂」「寺領傍示杭」などの史跡が、それを説明する案内板とともに、処々にある。

大磯町立図書館トップページ > 大磯町郷土資料 の【デジタルアーカイブ】には、大磯町立図書館所蔵の東海道五十三次大磯を描いた浮世絵や、大磯の風景が描かれた明治時代の絵はがきなど、興味深い史料が掲載されている。

旧東海道杉並木が国道1号線に合流して2,3分歩くと、信号「高来神社入口」だ。ここを左折すると、参道がまっすぐ伸びている。

これから登る高麗 (こま) 山は、南面山中に複数の横穴墓群や古墳も残された墓域がある。
また高麗山は、海上や周囲から識別しやすく山容が美しい。
一般に、太古の昔からそのような山には神が宿るとされてきたようである。

慶覚院

明治政府の神仏分離政策によって、ここにあった高麗寺は廃寺となり、後、高来神社と改称され、千手観音菩薩は慶覚院 (高来神社参道の鳥居の右) に安置された。

高来神社から湘南平までのあいだにトイレがない。
神社の右側にある「生涯学習館」ではトイレを利用でき、館内には「高麗山散策ガイド」が置いてある。
開館時間:9時から21時
閉館日:毎月第4月曜日、年末年始

高来神社

高麗山の山すそにある高来 (たかく) 神社には、神武天皇が勧請したという言い伝えがある。

高来神社は、朝鮮半島とのかかわりが深い
神功皇后 (実在したとすれば4世紀後半?) が三韓 (新羅・百済・高句麗) 征伐の際、高句麗の神だった高麗権現を高麗山の山上に遷し祀った。
668年に高句麗国が滅びると、高句麗の王族・若光がこの高麗の地に渡来し、製鉄技術など大陸の文化を伝来した。渡来した高句麗人とともに若光は716年、郡長として武蔵国高麗郡の開発を行った。

717年、僧・行基が大磯の海中から上がった千手観音菩薩を祀って高麗寺を創建し、高来神社の別当とした。
室町時代に高麗山は要害の地として戦いに巻き込まれたが、徳川家康は高麗寺を尊崇し、高麗山の全域と周辺の田畑を寄進して「御朱印地」とした。慈眼大師(天海僧正)高麗寺の「十三箇条の掟」を制定して、「高麗山の森林植生の保護」を規定した。
参勤交代のとき、殿様は駕籠から降りて高麗寺の大鳥居の前でお辞儀をしたほどだった。(境内案内板の略縁起などを参考にした)

高麗山の歴史・植生変遷について、中島浩一「高麗山県民の森『森林植生変遷史』~寺社領地から御料地、そして県有林へ その 2000 年の歴史を振り返る~」『神奈川県自然環境保全センター自然情報』第2号、2003年 が詳しく、参考になる。 行かれる前に一読されることをおすすめします 。(http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/10394.pdf)

高麗山は、歌川広重の「東海道五十三次」の「平塚」に描かれている美しい山だ。

広重『東海道五十三次之内 平塚』に描かれた高麗山。横から雪をかぶった富士山が見える。

高麗山は、3つの峰からなっているらしい (「らしい」と書いたのは、そうきちんと書かれたものを見つけられなかったからです)。
西から、東天照、高麗山、八俵山いちばん標高が高い高麗山は168mで、ここには高麗寺の大堂があった。
そして、室町時代には城砦として利用された。

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