梅・桜を楽しむ:阿佐ヶ谷駅から羽根木公園へ (027)-10.5km

[区間3] 杉並区立下高井戸おおぞら公園―かんな橋 (神田川)―永福橋 (神田川)―よろづや旅館角 (寺院群)―甲州街道 (信号「松原二丁目」)―築地本願寺 和田堀廟所

杉並区立下高井戸おおぞら公園を出発

杉並区立下高井戸おおぞら公園に隣接して、神田川でも「下高井戸調節池」の工事中です。おおぞら公園東側の未開園部分地下に大きな調節池を作っています。

かんな橋

「かんな橋」の先は通行止めなので、橋をわたります。左に「杉並区立永福中央公園」の細長い入口、右に工事の塀などを見ながら進みます。塀に隠れていますが、このあたりは桜並木がつづいていました。

神田川の工事は、「永福橋」まで続いていました。
永福橋で神田川と別れ、左折して坂を上っていくと、甲州街道に並行する玉川上水緑地の遊歩道があり、その先は甲州街道(信号「下高井戸駅入口」)に突き当たります。

甲州街道の歩道を歩いてもいいのですが、遊歩道の手前にある「よろづや旅館」の角を左折してみましょう。

よろづや旅館角から連なる寺院群

よろづや旅館の角を曲がると、「群」と書いては失礼かもしれませんが、7つの寺院が隣接して建っている通りでした。
永昌寺、栖岸院以外のほとんどの寺院は関東大震災で被災し、大正末ないし昭和3年の区画整理事業に伴い現在地に移転しましたが、1945年5月25日、焼夷弾の集中投下によって堂宇を全焼しています。

築地本願寺 和田堀廟所

真教寺から甲州街道に出て、和田堀廟に沿って新宿方向に歩くと、「築地本願寺 和田堀廟所」の入口があります。

築地本願寺 和田堀廟所

築地本願寺は浄土真宗本願寺派(本山は西本願寺)の寺院で、1923(大正12)年の関東大震災によって本堂が類焼する被害を受けました。本堂再建工事の際、境内の墓地・石碑を移転することになり、1934(昭和9)年に「本願寺和田堀廟所」が開所されました。
1945(昭和20)年5月25日、太平洋戦争による東京大空襲を受け、和田堀廟所は御本尊と祖師御影を除き、本堂や瑞鳳殿などがすべて焼けてしまいました。
その後、1953(昭和28)年10月11日、現在の築地本願寺本堂を模したインド仏教様式の本堂が建築され、現在にいたります。
(詳しくは、築地本願寺 和田堀廟所ホームページ をご覧ください)

築地本願寺 和田堀廟所

広い墓地にはソメイヨシノが植えられ、春はきれいな花が訪れる人を迎えてくれます。
ここには、樋口一葉 (小説家)、古賀政男 (作曲家)、海音寺潮五郎 (小説家)、水谷八重子 (女優)、佐藤栄作 (元首相)、服部良一 (作曲家)、中村汀女 (俳人)、九条武子 (歌人)、内田吐夢 (映画監督) など有名人の墓があります。

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