三宝寺池と白子川源流を歩く:井荻駅から大泉学園駅まで(095) -10km

三宝寺池厳島神社

コースの特徴

干ばつにも涸れなかった三宝寺池、石神井城主ゆかりの寺社、鳥たちの楽園、白子川源流をめぐります。

都内でありながら、自然がいっぱい、森林浴や野鳥観察が楽しめる10.5キロメートルのウォーキングです。

、野草観察園ではニリンソウなど野の草たちが、いろとりどりに可憐な花を見せてくれます。コースのあちらこちらで、枝いっぱいにソメイヨシノの花が咲きます。
、石神井池・三宝寺池の水面を流れる風が、まわりの森のなかを吹き抜け、さわやかな木陰です。
、三宝寺池を囲む一帯は、イロハモミジイチョウ紅や黄に染まります。
梅林では、紅と白の花が咲いています。

石神井城主・豊島家ゆかりの神社やお寺や城址を歩きます。
池淵史跡公園、ふるさと文化館では、竪穴住居跡や移築古民家を見たり、体験もできるさまざまな展示で練馬区の歴史を楽しみます。
石神井池・三宝寺池のまわりは自然が残り、コースのあちこちにある森や水辺では、さまざまな野鳥の姿を見ることができます。
板橋区まで流れる白子川の上流起点(練馬区・大泉井頭公園)では、川底から水が湧きでています。

コース概要

西武新宿線・井荻駅―井草森公園―天祖神社-禅定院-練馬区立池淵史跡公園-ふるさと文化館-道場寺-三宝寺-三宝寺池梅林-白子川上流端 (大泉井頭公園)―西武池袋線・大泉学園駅

コースの感想

このコースを歩く例会は、2012年2月、梅の時季に実施しました。そして、今回のコース調査は、最高気温34度の炎暑の日に実施しました。条件が悪いときに歩いたのですが、それにもかかわらず、満足のウォーキングになりました。紅葉の季節は、最高のコースだと思います。
同行者も、同様の感想だったようです。

長く杉並に住んで、バスから公園を見る機会は何度もあったのに、石神井公園に足を踏み入れたのは初めてでした。
2018年7月、厳重警戒の警報が出るほどの暑い盛り、特に暑い練馬区を歩くことに覚悟をしながらのwalking。でも、そんな心配は、吹き飛びました。

雜木林に囲まれた森の散歩道は木々の枝が日差しを遮り、暑さからホッと逃れて、期待以上の公園。
そして武蔵野の自然を残す、静かなたたずまいの三宝寺池。
この池にまつわる石神井城の落城や城主豊島氏や照姫の話、
三宝寺の境内にある四国八十八ヵ所霊場、氷川神社、禅定寺、稲荷神社など、
歴史と憩いの混在した、とても趣のある公園でした。
絵を描く人、野鳥にカメラを構える人、皆、静かな武蔵野の林を楽しんでいるようでした。

モミジが多く、とりわけ三重の塔を背景にした最盛期の紅葉は、その時期に再訪して、是非見てみたい一枚です。

コースの写真

コースの写真はコチラをクリック ⇒ 095-三宝寺池と白子川源流を歩く:井荻駅から大泉学園駅まで」(2020年12月17日に訪問したときの紅葉の写真も掲載しました)

コース途中にある石仏の写真はコチラをクリック ⇒ 095-三宝寺池と白子川源流を歩く:石仏たち

コース地図をご覧ください。
コース距離です。*カッコの数字は、コース地図の番号に対応しています。
ポイント区間距離累計距離
(01) 西武新宿線・井荻駅北口  
(02) 井草森公園入口357m357m
(04) 井草森公園園内400m757m
(05) 天祖神社803m1,560m
(07) 禅定院771m2,331m
(14) 石神井公園ふるさと文化館1,170m3,501m
(16) 道場寺377m3,878m
(18) 石神井氷川神社557m4,435m
(28) 三宝寺池/石神井松の風文化公園入口524m4,959m
(25) 茶店557m5,516m
(28) 三宝寺池/石神井松の風文化公園入口513m6,029m
 (30) 井頭こぶし憩いの森1,830m7,859m
(32) 白子川源流407m8,266m
(33) 火の橋388m8,654m
(35) 大泉学園駅への通路991m9,645m
(36) 西武池袋線・大泉学園駅南口165m9,810m

コースの説明 *カッコの数字は、コース地図の番号に対応しています。

井草森公園

(03) 井草森公園は、旧通商産業省機械技術研究所の跡地に1996年3月、開園しました。当初は不燃ごみ中継施設も造られ、付近の地域住民がのどや目に痛みを訴え、「杉並病」は、当時の大きな社会的な問題になりました。その後、不燃ごみの減少等により、中継施設は2009年3月に廃止されました。公園内には花壇がきれいな「花の丘」や桜並木があり、また、災害時に「防災公園」として機能する設備もあります。

天祖神社

(05) 天祖神社の境内には、安政年間(1854~60年)の燈籠や享保2(1717)年の延命地蔵などがあります。延命地蔵と庚申塔の隣に建てられている角柱形の石造物は、二十三夜待供養塔。江戸時代、「講中」と称する仲間が二十三夜に集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという月待行事が流行していました。

禅定院

(08) 禅定院は真言宗智山派(豊島八十八ヶ所第七十番札所)のお寺で、約六百年前、願行上人によって開かれたと伝えれています。境内にある、寛文13(1673)年と刻まれた織部灯籠、応安・至徳(南北朝時代)年号の板碑、鐘楼前の大宝篋印塔 (だいほうきょういんとう)、いぼとり地蔵、門前の六地蔵が目をひきます。

石神井公園記念庭園
2020_12_17石神井公園の紅葉

(09) 石神井公園記念庭園は、石神井村元収入役で地元の資産家の豊田銀右衛門が大正の初期に造成した第二豊田園だったところで、東京都が取得して石神井公園の一部として再整備し、1978年に開園しました。

春にはソメイヨシノ、夏には昆虫草花、秋にはイロハモミジの紅葉、冬には池に飛来するカモ類などを楽しむことができます。

なお、第一豊田園は現在の石神井池の北畔台地にツツジを植えた庭園で、大正初めに造られましたが、その後、宅地になりました。

大正4(1915)年に武蔵野鉄道の池袋駅―飯能駅間が開通し、沿線各地に観光開発の機運が高まっていたようです。

こうした歴史については、石神井公園ふるさと文化館(14)で展示されています。

石神井公園のイベントや開花状況等は、都立石神井公園公式ツイッターでご確認ください。

石神井公園山桜園

(11) 石神井公園山桜園は、サクラの花の開花状況に合わせて前後しますが、例年3月下旬ごろから4月上旬ごろの9:30〜16:30に一般開放が行われます。その年の開花時期は「ねりま観光センター」(電話:03-4586-1199/eメール:kanko@nerima-idc.or.jp)、「東京都公園協会 石神井公園サービスセンター」(電話:03-3996-3950)でご確認ください。

ねりまの野草観察園

(12) 山桜園に隣接してねりまの野草観察園があり、四季を通じて、日本スイセンエビネイチリンソウマイヅルソウムサシアブミシラヤマギクヒオウギフシグロセンノウ等々、可憐な山野草の花を見ることができます。

練馬区立池淵史跡公園

(13) 南側の石神井川と北側の三宝寺池の谷にはさまれて、東西に長く延びる台地上にある池淵遺跡の発掘調査が1972-73年に行われ、旧石器時代・縄文時代・中世の遺跡が発見されました。発掘完了後、「練馬区立池淵史跡公園」として埋め戻し保存されています。公園内にある茅葺きの寄棟造りの「旧内田家住宅」は明治20年代初頭の建築と推定され、もとは練馬区中村にありましたが、2010年に移築復元されました。

練馬区立石神井公園ふるさと文化館

(14) 練馬区立石神井公園ふるさと文化館では、練馬区の歴史や伝統文化、自然などについて、体験しながら楽しく学ぶことができます。館内には、美味しいうどんが食べられるお店「むさしの エン座」もあります。

豊島山無量院道場寺
2020_12_17道場寺の紅葉

(16) 豊島山無量院道場寺は曹洞宗の寺院。
文中元(1372)年、当時の石神井城主・豊島景村の養子・輝時(北条高時の孫)が、大覚禅師を招いて建て、そのとき、輝時は自分の土地を寺に寄付して、豊島氏代々の菩提寺としたと伝えられています。
大覚禅師は、鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧で、大覚派の祖であり、鎌倉・建長寺を開山しました。
境内の三重塔(1973年建築)内には、人間国宝であった香取正彦作の金銅薬師如来像が置かれ、その台座にはスリランカより拝受の仏舎利が奉安されています。

三重塔を包み込むようにイロハカエデの葉が茂り、紅葉の時期の見事さが想像できます (2020年12月17日に訪問したら、三重塔よりも、鐘楼のまわりの紅葉が見事でした)。

亀頂山三寳寺

(17) 亀頂山(きちょうざん)三寳寺(さんぽうじ)は、応永元(1394)年に鎌倉大楽寺の大徳幸尊法印が、石神井城を築き一帯を統治していた豊島一族の祈願寺として、当地周辺に創建した真言宗智山派の寺院です。「三宝寺池」の名前は、三寳寺にちなんでつけられています。山門は、徳川家光が鷹狩で御成りになったことから、「御成門」と呼ばれています。大黒天堂の地下には子育千体地蔵が祀られ、六道曼荼羅の壁画(染川英輔画)が極彩色で描かれています。奥之院は高野山を模して造られ、「八十八ヶ所お砂踏霊場」は鬱蒼とした森を分け入る風情があります。塀に沿って、さまざまな仕草をした、江戸時代の多数の石仏が並んでいます。鐘楼の梵鐘は延宝3(1675)年の銘があります。長屋門はもと勝海舟邸にあった由緒ある門で、区内旭町兎月園に移されていたものを、将軍家ゆかりの当寺が幕末の重臣勝海舟を慕い、1960年に移築したものです。境内には、根本大塔観音堂観世音菩薩像が最近、建てられています。

石神井城は、平安時代から室町時代まで石神井川流域に勢力を張った豊島氏の後期の居城で、室町時代後期に最盛期を迎えました。
室町幕府は南北朝時代に、鎌倉府を設置して関東を統治しており、鎌倉府の長官(鎌倉公方)は足利氏が世襲し、補佐する関東管領は上杉氏が世襲していました。しかし関東管領の補任権は室町幕府が握っていて、鎌倉府と関東管領がしばしば対立し、乱がつづいていました。
やがて豊島氏は、関東管領・上杉氏の同族で、新興勢力である扇谷上杉氏の万事を取り仕切っていた太田氏と、対立を深めていきました。そのころ、関東管領・上杉氏の有力家臣・長尾景春による反乱(文明8~12[1476~80]年)が起き、景春は太田道灌の活躍によって鎮圧されました。
この戦いにおいて、豊島氏は景春に加担して、当主の泰経とその弟泰明がそれぞれ石神井城と平塚城に拠り太田道灌と対峙しましたが、文明9(1477)年、太田道灌に攻められ石神井城は落城し、逃れた豊島氏は翌年、ついに没落したのです。
ここには、悲しい話が伝えられています。最期をさとった泰経は、家宝である金の乗鞍を置いた白馬にまたがって、三宝寺池に身を沈めました。泰経の娘、美しく聡明な娘・照姫も、父の後を追って池に身を投げたのです。憐れんだ道灌は、照姫の亡骸を弔って塚を築きました。これが「姫塚」です。毎年「照姫まつり」が催され、2018年の第31回照姫まつりは4月22日(日)、石神井公園駅と石神井池のあいだで「照姫行列」が住宅街や商店街を練り歩きました。
石神井城の中心部分にあたる内郭の土塁と空堀は、いまも残っています。1998年には約5メートルの深さの空堀が発掘され、その後の発掘調査では、土塁の盛土下層から鉄製小刀が出土しています。
なお、1922年に山川均、堺利彦らによって創立され、同年コミンテルン第4回大会でコミンテルン日本支部として承認された日本共産党は、翌1923年、臨時党大会を開きますが、その会場は、三宝寺池湖畔にあった料亭旅館「豊島館」でした。建物は1975年に取り壊されたようです。私が子どものころ、この豊島館だったのか別の建物だったのかは定かでないですが、厳島神社の南の台地に、古い建物があった記憶があります。石神井城跡、氷川神社から少し池のほうに下ったところに平らな場所がありますが、そこだったと思います。

石神井 氷川神社

(18) 石神井 氷川神社のホームページによれば、「神社の創建は、古く室町時代に遡ります。社伝によれば、本社は室町時代の応永年間(1394年-1428年)に、このあたりに勢力が大きかった豊嶋氏が、この地を護る石神井城の中に、城の守護神として祀ったのが創まりです。武蔵国一ノ宮である大宮の氷川神社から御分霊を奉斎したのです。
当時の豊嶋氏が治める領地の中心は、現在の池袋から豊島園遊園地のあたりであったと伝えられており(現在の「豊島区」という地名は豊嶋氏に由来するものです)、石神井城はその領地の西方を護る砦でありました。また同時に豊かにして貴重な水源地である、石神井池(現在の三宝時池)を護る意図もあったと伝えられています。」

三宝寺池

(20) 三宝寺池は、井の頭池、善福寺池とともに武蔵野三大湧水池のひとつで、江戸時代にはいかなる日照りにも涸れないといわれ、昭和30年代頃までは、真冬でも池面が凍らない「不凍池」として知られていたそうです。しかし、都市化とともに湧水は涸れ、現在は井戸から地下水を汲みあげています。氷河期から遺存してきた寒冷地植物などが生育していて、1935年に国の天然記念物に指定された中の島にある「三宝寺池沼沢植物群落」も、環境の変化などによって、種類、個体数ともに減ってしまいました。また、中の島に厳島神社(21) (もとは弁天社)、池の近くに水神社(23) (もとは水天宮)、池の南の丘の下にある洞穴の祠には宇賀神社 穴弁天(22)があります。池の東にある豊島屋は、「大正時代から続く茶店です。公園ができたのが昭和38年なので、公園よりも歴史が古い」(TV東京「出没!アド街ック天国」2005年6月18日(土)放送) そうです。豊島屋の北側に梅林があります。梅林を出て西に進むと、照姫伝説の「姫塚」があります (ここは古墳です)。
360度カメラによる三宝寺池の雰囲気をご覧ください:

2020/12/1、石神井公園 三宝寺池 木道(さくら広場側)より #theta360 – Spherical Image – RICOH THETA

白子川

(32) 東京都建設局の説明によると、「白子川は、西東京市から練馬区の北東を流れて埼玉県に入り、更に、都県境を複雑に流下し、 新河岸川に合流する流域面積25平方キロメートル、延長10kmの中小河川」とのことです。白子川が始まるところは練馬区立大泉井頭公園として整備されていますが、ふつうの川の「源流」と比べると、ちょっと変わっています。「一級河川 白子川 上流起点」という表示が掲げられてはいますが、その表示は、四角いブリキのような板に赤いペンキを塗って、その上に白抜きの黒い手書き文字で書かれています。赤いペンキは、ところどころ剥げています (2005年に撮影された掲示板は、青い色に塗られた木製の板のようです)。「上流起点」という言い方も、謎です。白子川の流れと反対側を振り向くと、細い暗渠がつづいています。これは、西東京市 (旧田無市) 北原町から流れている「新川」だそうです。興味のある方は、「東京の河川」というサイト(「白子川」「新川」)をご覧ください。なお、「白子川源流・水辺の会」が「白子川源流域の自然(湧水と水辺及び水辺の生き物)や川をめぐる文化に関するフィールド調査・学習活動をすると共に、その保全や回復の手立てを講じ、さらに豊かな白子川源流域の川をめぐる自然や文化を創出する諸活動」を行っています。

なお白子川をめぐるコースは、大泉学園駅南側から中流域は「カタクリ・サクラ・湧水の白子川中流域を歩く:大泉学園~和光市駅 (507)」に、さらに下流の和光市周辺は「川越街道・白子宿と湧水をたずねる:和光市駅~成増駅(509)」に掲載しています。

大泉学園町の開発

(36) 大泉学園町の開発について、西武グループは Seibu Holdings ホーム > 西武グループについて > 西武グループの歴史 >「Ⅱ. 西武グループ土地開発創始期(1893~1969)」>「Part3 逆境のなかでこそ強い心を持ち あらゆる方策を探っていた」のなかで、次のように述べています。

[堤] 康次郎は自分の思いを、著書『人を生かす事業』のなかで熱く語っている。
「私は、関東大震災直後、当時の東京府下に大規模な学園都市を建設する構想を立てた。震災で東京市内は大きな犠牲を出した。焦土と化したのを機会に、このゴミゴミした大都会から学校を離さねばならない。学生たちにはもっと空気のいい、風紀もいい新しい土地で勉強させるべきだ。それには府下の適当なところを開発して学校を移し、学校中心の新都市を建設せねばならない」
その言葉どおり、1924(大正13)年、まず現在の練馬区から埼玉県下にかけての100万坪の土地を買収し、道路と上下水道、電灯を整備。大泉学園都市として開発に着手する。最寄りの駅がなかったため新設して寄付したことで、西武鉄道の前身である武蔵野鉄道とのかかわりが始まった。

堤は、大学等の高等教育機関を誘致して学園都市として開発することを構想し、同時期に、国立学園都市(1925年)、小平学園都市(1925年)の開発を計画しました。大泉学園町では高等教育機関の誘致は失敗しましたが、一帯は高級分譲住宅地として開発され、閑静な住宅街となっています。いま、この町は子育てファミリーが殺到する町としても注目されています (現代ビジネス編集部「レジェンド団地「大泉学園町」に子育てファミリーが殺到する深い理由」2018.03.15)

ハーフコース?

禅定院を起点に、石神井公園・三宝寺池周辺を歩き、石神井松の風文化公園までの約5キロメートルのコースがおすすめです。特に、晩秋は見事な紅葉をゆっくり楽しめるでしょう。

禅定院(7)までの往路

 西武池袋線・石神井公園駅からは、

徒歩、あるいは石神井公園駅から荻11[西武バス/関東バス]、荻13/荻14[西武バス](いずれも荻窪駅北口行き)、阿50/51[関東バス](阿佐ヶ谷駅行き)に乗車して、バス停「禅定院前」下車です。

 JR中央線あるいは西武新宿線をご利用の場合は、

*荻11[西武バス/関東バス:石神井公園駅南口行き] 荻窪駅北口→(西武新宿線)井荻駅経由→禅定院前・下車
*荻13/荻14[西武バス:石神井公園駅南口行き] 荻窪駅北口→(西武新宿線)上井草駅経由→禅定院前・下車
*阿50/51[関東バス:石神井公園駅行き]:阿佐ヶ谷駅→(西武新宿線)下井草駅経由→禅定院前・下車

石神井松の風文化公園(28)からの帰路

石神井松の風文化公園から、石神井公園駅あるいは大泉学園駅まで1.5キロメートル弱、徒歩20分ぐらいです。

ちょっと立ち寄り

下記の地図に、コース途中、あるいは歩き終えてから立ち寄れるお店を紹介しました。

むさしの エン座
太いうどんが売りです。喫茶メニューもあります。
ふるさと文化館の館内にあって、昼時はすぐ満席になってしまいます。
営業時間:11:00~15:30/定休日:月曜・第1火曜
https://www.udon-enza.com/

名物焼だんご 池田屋
創業明治35年で、店先で焼いています。店内では食べられません。
営業時間:10:00~16:00/不定休
自家製焼き団子(100円)

茶店・豊島屋
カレーライス、甘味処、おでん、ラーメン、ビール、・・・。創業は大正時代で、昔の茶店そのままです。
営業時間:11:00~日暮れまで/木曜定休
https://tabelog.com/tokyo/A1321/A132103/13093252/

スノウドロップ
野菜料理、ハーブティにこだわる一軒家レストランです。
営業時間:火曜~金曜・第3・4土曜の11:30〜16:30
ランチタイムラストオーダー15:00
カフェタイムラスオーダー16:00
予約は 090-7843-0443
https://www.cafe-snowdrop.com/

フクロコウジ カフェ
インコと遊べ中国茶スイーツが美味しい。
営業時間:11:30~16:00/木・金定休
平日は要予約(080-3710-5903)
詳しくは、http://fukurokojicafe.blog78.fc2.com/

手打ちそば むら季
営業時間:
平日11:30~14:30 17:00~21:00/木曜定休
土日祝11:00~20:00
https://tabelog.com/tokyo/A1321/A132103/13035071/

すし処 まる辰
安くて新鮮な寿司、魚介料理・海鮮料理が食べられます。ランチメニューは、おすすめです。
営業時間:11:30~24:00(15:00までがランチメニュー)/月曜定休
予約は、03-3921-4316
https://tabelog.com/tokyo/A1321/A132103/13003801/

甘味処 華樓
堂々、「食べログ スイーツ 百名店2018」に選ばれました。
パンケーキ、かき氷が評判です。
営業時間:11:00~20:00 (L.O.19:30)/水曜定休
https://tabelog.com/tokyo/A1321/A132103/13104017/

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