花いっぱいの権現堂堤と日光街道・幸手宿 (086)―10km
区間ごとのコース説明
[第1区間]
南栗橋駅~狐塚ヘルシーパーク
東武日光線・南栗橋駅
南栗橋駅は東武日光線の駅で、東武スカイツリーラインの終点です。東武線の東武動物公園駅、北千住駅、とうきょうスカイツリー駅、浅草駅から来れるだけでなく、日比谷線 (中目黒駅)、半蔵門線 (渋谷駅)、東急田園都市線 (中央林間駅方面)にも乗り入れています。
駅前にコンビニはないようですが、コースに沿って、すぐスーパー「マルヤ 南栗橋店」があります。お弁当、おにぎり、パンや総菜、飲み物などを購入できます。
ところで、東武鉄道ホームページにある南栗橋駅の説明に、駅の名前の由来が書いてあります。
――利根川では、川の両岸に柱を建て綱を張り、渡る者が綱を手繰(たぐ)って船を進める「繰 (く) り渡 (わた) し」で往来していたそうです。この渡し場から「くりはし」の地名が起こり、交通の要所となって集落が生まれたとのこと。「南栗橋駅」は栗橋町の南側にあります。
江戸時代の五街道のひとつ日光道は、栗橋(埼玉県久喜市)で利根川を渡り対岸の中田(茨城県古河市)に向かいますが、ここには明治2年まで橋がかかっていませんでした。そして、栗橋宿が設けられ、日光道でただひとつの関所が置かれました。栗橋宿には利根川(このあたりの利根川は房川と呼ばれていた)を渡る「房川渡 (ぼうせんわたし)」がありました。
栗橋関所が設置されたのは江戸時代初頭で、寛永元(1624)年には、関所の警衛にあたる番士が幕府から任命され、関所の近所に定住したと伝えられています。江戸時代の関所は、武器の通行の監視や、江戸に人質として差し出された諸大名の妻子の国元への逃亡の取り締まりが主な役割でした。(久喜市トップページ > 久喜の魅力 > 歴史・文化・美術 > 広報連載久喜歴史だより > 第16回 栗橋関所(くりはしせきしょ)参考)
南栗橋 桜並木(大排水路)
マルヤ 南栗橋店の前の道路を南西に向かうと、右側は草におおわれた空き地が広がっています。高圧線の鉄塔があり、その奥に、東北新幹線が走っているのを見ることができます。駅の近くなので、開発のけいかくだけはあるのかもしれませんが、2011年にここを訪れたときと、まったく変わらない景色です。
草むらの空き地が途切れ、南栗橋近隣公園(運動場)とのあいだに水路が走っています。ここで左に曲がります。
大排水路沿い(一部区間)の両岸にはソメイヨシノと静桜が、1.5kmにわたって植えられています。3月下旬ごろはきれいでしょうね。
右側の遊歩道を歩いていきましょう。はじめは住宅がありますが、狐塚公園をすぎると、田んぼの景色に変わります。
中川土手
埼玉県羽生市街地の住宅地の中から流れ出し、足立区、葛飾区、江戸川区を通って東京湾に流れ込む一級河川で、利根川水系です。
大排水路から離れて田んぼのあいだの道を歩いていくと、周囲よりも盛り上がっている土手に出ます。河川敷は公園になっていますが、草が繁茂していて、中川を見ることはできません。
昭和22(1947)年9月15日に襲来したカスリン台風は、利根川を決壊させ、この一帯にも浸水の大きな被害をもたらしたそうです。
土手の上の道からは、右手の住宅地が低くなっているのに気づかれるでしょう。
高秀寺の手前には、内池という池があって、魚釣りをしている人がいました。
高秀寺
高秀寺は阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺。開創は文禄2 (1593) 年と伝えられ、江戸時代は鴻巣勝願寺の末寺でした。
カスリン台風による利根川決壊の大水害により、濁流の水位が本堂鴨居以上に達し、境内、建物ともに大きな被害を被りました。
カスリン台風による死者は1,077人、行方不明者は853人、負傷者は1,547人にのぼります。その他、住家損壊9,298棟、浸水384,743棟、耕地流失埋没12,927haなど、罹災者は40万人を超え、戦後間もない関東地方を中心に甚大な被害をもたらしました。利根川や荒川などの堤防が決壊したため、埼玉県東部から東京都23区東部にかけての広い地域で家屋の浸水が発生したのです。
この被害を教訓として、経済安定本部は大都市への水害被害を防ぐために、本格的な治水事業に着手することになりました。
氷川神社、鹿島大神宮
記録が残る元禄10 (1697) 年以前の創建で、「村の鎮守なり、狐塚村泉福寺持」との記載があります。
境内には、文久年間(1861-63年)建立の庚申塔や二十三夜供養塔などが残っています。
現在の社殿は、昭和30(1955)年建立です。
狐塚ヘルシーパーク
氷川神社の向かい側、中川の堤防脇にあって、小休止にちょうどいい小さな公園です。
「ヘルシー」という名前のとおり、おもに大人が健康を保つための遊具が置かれています。
トイレがあります。
[第2区間]
中川・昭和橋~常福寺
中川・昭和橋
中川は、埼玉県羽生市街地の住宅地の中(羽生市東7丁目7−10)に源を発し、葛西海浜公園の西なぎさの突端で東京湾に達する全長83.7 kmの一級河川です。
源流付近では農業排水路からつながる細い流れですが、小さな用水路や小川を集めて幅を広げて、幸手市付近では川幅約70mにもなります。
昭和橋は、久喜市と幸手市の境にあって、市境を示す掲示がかかっています。
残光寺
天正15(1587)年の創建。
昭和22年9月15日の利根川決壊の大水害により、明治16年建立の本堂は甚大なる被害をこうむる。
昭和38年に南面する仮本堂を建て、本尊を遷座する。
昭和62(1987)年、開創400年を迎え本堂再建の機運が高まり、平成3年、本堂庫裡が建立された。
(以上、境内にある「本堂建立之疏」碑から要約)
浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。地蔵様が霊験あらたかで、病気をなおしてくれるといわれています。
高須賀池
高須池は、1783(天明3)年の浅間山の大爆発のあと土砂で浅くなった利根川の堤防が1786年に決壊し、その洪水の圧力で出来た押堀(おっぽり)で、深いところの水深は6mありました。
その後、昭和22年のカスリン台風のときの利根川堤防決壊による大洪水によって、池の南側は土砂に埋まり、北側は濁流にえぐられ、池の形は大きく変わりました。新たに、北西側が水深約10mになり、自然環境保全法に基づき環境省の調査対象天然沼となっています。
池の周囲は、バーベキューもできる公園として整備され、一周することができます。
トイレもあります。
常福寺
曹洞宗の寺で、本尊は薬師如来。
豊山東雪大和尚が元和4(1618)年に開基し、同6年に創立したという記録があります。
この薬師様は「目しゃくれ(目腐れ)薬師」といわれ、目や歯の痛みにご利益があるとのこと。
境内には、延命地蔵が祀られ、1675(延宝3)年造立の庚申塔などがあります。
常福寺を出たら、左へ進みます。東武鉄道の線路に沿って左へ曲がり、線路の下をくぐって反対側に抜けます。
大きく育ったサボテンが、花をつけていました。
道なりに進み、こんもりとした木々の手前に正面に国道4号線(日光街道)の信号が見えると、もう、権現堂堤西端です。
「コースの写真」は、086-花いっぱいの権現堂堤と日光街道・幸手宿 をご覧ください。
「コースの特徴・地図」は、コチラ をご覧ください。
「区間ごとのコース説明」の「権現堂堤」および「日光街道幸手宿・正福寺~幸手駅」は、コチラ をご覧ください。
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