階段と怪談がある街・四谷界隈を歩く (511)―6.5 km

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コースの説明 

(1) 四谷怪談「お岩」の神社

JR総武線・信濃町駅を出て、久しぶりに外苑東通りを四谷三丁目交差点のほうに歩くと、創価学会関連のビルが大通り沿いにも目につく。慶應義塾大学病院の隣にある民音音楽博物館には、鍵盤楽器やオルゴール、世界の民族楽器のコレクションなどが展示されているので、ちょっと寄ってみようとおもったが、新型コロナの感染防止のために閉館中だった。入場無料だが、開館しても当分、事前の予約が必要とのこと。

文学座
文学座アトリエ

外苑東通りを北へ100m歩いた路地を左折し、正面に代々木のNTTドコモビルを見ながら足を進めるとすぐ、洋館的でありながら、昔の和風建築の雰囲気も感じられる独特の建物が右手にある。1937(昭和12)年9月創立の劇団「文学座」の拠点であるアトリエ(1950年竣工=伊藤義次設計)だ。ここは文学座の稽古場であり、前衛的実験的な作品を上演する「アトリエの会」の公演が行われている。
残念ながら2020年の4・5月アトリエの会『熱海殺人事件』公演は、新型コロナの感染拡大のために中止せざるをえなくなった。

ふたたび外苑東通りに戻り北に向かうとすぐに「左門町」の信号がある。新宿区左門町は、この先、四谷三丁目交差点までの外苑東通りの左右にある、丁目がない狭い町で、江戸幕府を守る軍事組織「先手組」の組頭だった諏訪左門の組屋敷があったことに由来する[参考01]。
信号「左門町」を右折し、東に進む。このあたりは武蔵野台地の東に延びる舌状台地のひとつ「淀橋台」にあり、淀橋台の中心には新宿通りが、四谷から新宿方面へと走っている。信号「左門町」からこの先の須賀神社までは平坦な道だが、平行している新宿通りとのあいだには、円通寺坂につながる谷が刻まれている。
左門児童遊園を過ぎてすぐの路地を左にはいり、「於岩稲荷」という赤提灯やcafeがある派手な陽運寺を右に見て、その先の左側にある渋めの於岩稲荷田宮神社に向かう。

於岩稲荷田宮神社、陽運寺、四谷怪談の「於岩」
於岩稲荷田宮神社

於岩稲荷田宮神社は、新宿区左門町のほか、中央区新川2丁目(霊巌島)にもある。

東京都神社庁のホームページによると、中央区の神社は、

「四代目鶴屋南北の「東海道四谷怪談」の主人公お岩の伝承をもつ神社。(飛地 四谷於岩稲荷田宮神社 新宿区左門町17)」

ということだ。
これは、どういうことだろう?
東京都教育委員会による現地の説明書きには、こうある:

田宮稲荷神社は、於岩稲荷と呼ばれ四谷左門町の御先手組同心田宮家の邸内にあった社です。初代田宮又左衛門の娘お岩(寛永13年 [1636] 没)が信仰し、養子伊右衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めたようです。鶴谷南北の戯曲「東海道四谷怪談」が文政8年(1825)に初演されると更に多くの信仰を集めるようになります。戯曲は実在の人物からは二百年後の作品で、お岩夫婦も怪談話とは大きく異なり円満でした。稲荷社は明治12年(1879)に火事で消失し、その際初代市川左団次の勧めで中央区新川に移転しました。しかし、その後も田宮家の住居として管理されており、昭和6年(1931)に [東京都指定旧跡に] 指定されました。戦後、昭和27年(1952)に四谷の旧地にも神社を再建し現在に至っています。

  ――「東京都指定旧跡 田宮稲荷神社跡」東京都教育委員会の現地案内板

養子伊右衛門に裏切られ、悶え苦しみ亡くなった於岩が、幽霊となって伊右衛門を苦しめるという怖い怖いストーリーの「東海道四谷怪談」の映画を昔よく見た記憶がある。戦後の映画が盛んになってきたころ、怖い幽霊ものは、とくに夏のお盆の時期には圧倒的な人気を集め、四谷怪談は昭和31年 (1956)・新東宝、昭和31年・新東宝、昭和34年・大映、同年・新東宝、昭和36年・東映と、毎年のように映画化されていたからだ。
ところが実際は、この戯曲が初演された文政8年から200年も前(江戸時代のはじめ)に実在した伊右衛門と於岩は、夫婦円満だったそうだ。そして、この田宮稲荷神社は、もともと田宮家の邸内にあって、人々の信仰を集めていたとある。明治の初めに火災で焼失して中央区新川に移転したが、戦後すぐ、現在地に再建した。
なぜ戦後になって、ここにも神社を再建したのだろうか? それには、「東海道四谷怪談」の人気と、お岩をめぐる本家争いがあったように思える。

それでは、田宮稲荷神社の斜め向かいに移動し、陽運寺の由緒書きを見てみよう。

由来の事

江戸時代、文政八年七月 歌舞伎作者 四世鶴屋南北作 「東海道四谷怪談」が世に広まり、お岩様が庶民の畏敬を集めました。
この地にあったお岩様の霊堂が戦災に遭ったため栃木県沼和田から薬師堂を移築再建し、当寺が開山されました。
境内にある泰山木の下にお岩様縁の祠があったと伝えられ、陽運寺の起源とされています。
薬師堂の棟札には宝暦七年と記されており二五〇年以上の歴史のある建物です。
当堂内にはお岩様の立像が奉祀され、厄除け、ご縁事、芸能事に霊験があると、多くの参拝者の信仰を集めています。境肉にはお岩様由縁の井戸、再建記念碑等があります。
  平成二十五年癸巳年十月吉辰 於岩稲荷 長照山 陽運寺

――陽運寺境内の由緒書き
陽運寺
陽運寺

この「由緒書き」には、いつ開山したかの記述がない。
そこで陽運寺のホームページの「陽運寺の縁起」を見ると、「茨城県水戸市にある本山久昌寺(徳川光圀公由縁の寺院)の貫首であった蓮牙院日建上人が昭和の初め頃建立」という一文があった。具体的な建立の年は書かれていないものの、昭和の初めとのこと。ホームページに宗派についての記載がないが、「堂内には宗祖日蓮大聖人御尊像」とあるので、日蓮宗なのだろう。
先に訪問した田宮稲荷神社と比べると、こちらのほうは「四谷怪談」で幽霊になって出てくる「お岩さん」を売りにしているようだ。
待てよ! 四谷怪談というのは、田宮家のお岩さんがいた時代から200年もたった、後世の創作だ。
フィクションの世界にひたり、お岩さんのカフェで休むのも、いまの世の中にはあっているのかもしれない、と思った。

開運毘沙門天を祀る本性寺
本性寺

陽運寺を出て元の道を戻ると正面に、本性寺 (日蓮宗)。
松戸市小金にあって、アジサイがきれいなことで有名な本土寺の末寺とのこと。

寺門に、毎月1日に開運祈願会を催しているとの掲示。開運毘沙門天を祀っている。
境内には、「萩原宗固の墓」がある。
宗固は江戸時代中期の国学者・歌人で、『群書類従』(古代から江戸時代初期までの史書や文学作品、計1,273種を収録) の編纂者・塙保己一(はなわ ほきいち)や寛政の改革を行った老中・松平定信などを養成した。塙保己一の墓は、これから立ち寄る愛染院にある。

須賀神社へ向かう。

(2) アニメ『君の名は。』で、瀧と三葉が出会った階段

四谷十八ヵ町の総鎮守「須賀神社」
須賀神社本殿

本殿脇から須賀神社に入ると、境内社の天白稲荷神社があるので、まずお参りする。立派なお稲荷さんだ。本殿とともに、関東大震災も東京大空襲の戦火も免れたそうだ。
文政2 (1819) 年に造営された本殿には須佐之男命(須賀大神)と宇迦能御魂命(稲荷大神)の2柱が鎮座している。稲荷社がはじまりで、寛永21 (1644) 年、神田明神社内に祀ってあった日本橋伝馬町の牛頭天王(ごずてんのう;須佐之男命)を四谷に合祀し祀るようになり、「四谷牛頭天王社」と称されたが、明治元年の神仏分離令によって、「須賀神社」と社号を変えた。
本殿の左には大国主命(おおくにのぬしのみこと)が祀られている。また、天保7 (1836) 年に画かれた「三十六歌仙絵」が、戦火を免れ社宝として残っている (拝観は許可制)。
本殿の左側(北側)に立つと、眺めがいい。淀橋台から延びる尾根の先端にあって、ここの両側は谷になっており、とくに北側は高さ7mの崖が切り落ちている。

須賀神社・男坂の階段は、『君の名は。』の「聖地」
須賀神社男坂
須賀神社男坂

須賀神社からこの崖を、男坂と女坂とで下っていける。「坂」という名称だが、いずれも階段だ。
男坂は直線で下る、なかなかの急階段で、一直線上に、いったん谷に下ってから上り返す坂(東福院坂)を見通すことができ、その先には新宿通り沿いのビルディングが見える。都心には珍しい景色。
一方、女坂はゆるやかで幅も広い階段が、直角に曲がって踊り場をつくり、ふたたび緩やかな階段で下っていく。

2016年公開、新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』を観ていなくても、遠くまで見通せる階段が描かれた映画ポスターを目にした人は多いのではないだろうか。
映画の最後のシーンで主人公の瀧と三葉が出会った階段、それが、須賀神社の男坂だ。

ここは『君の名は。』の「聖地」で、映画公開から4年たったいまでも、巡礼者が階段上で自撮りをしていた。

「赤門寺」として有名だった妙行寺
妙行寺

男坂を見てから、女坂で下る。下りきった左手に、稲荷山妙行寺がある。墓地の先に、須賀神社下の崖がそびえている。
境内にあった「縁起」には、大要、以下のことが書かれていた:もとは真言宗だったが日蓮宗に改宗し、1634(寛永11)年、江戸城拡張に従い、清水谷より現在地に移転した。江戸中期、10代将軍家治の時、檀徒伊藤氏の娘が側室として仕え、その縁により一族大奥の中﨟等の役職に就くものも多く、赤門建立を許されたという。故に四谷麹町界隈では「赤門寺」として有名を馳せた。

男坂を下ってきた道に合流し、交差点を西へ坂道を上り、日宗寺に向かう。

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