市川国府台の森と歴史散策:京成本線・市川真間駅~国府台駅 (073)―13㎞
コースの特徴
- コース一帯の歴史は古く、数十の古墳(国府台古墳群)が築かれ、大きな貝塚もあり、奈良時代には下総国府が置かれ、下総国分僧寺、下総国分尼寺が建立されました。
- コース前半には、万葉集に歌われたところなど、歴史のポイントがたくさんあります。弘法寺には、みごとな枝垂れの伏姫桜、月見桜があります。
- コース後半は、森のなかを歩きます。春は青々とした新緑、夏は涼しい木陰、秋は色鮮やかな紅葉を楽しめます。
- 距離が長すぎるという方は、[9kmコース:(01)京成本線・市川真間駅―・・・―(34)考古博物館―北総線・北国分駅] もおすすめです。
コースの概要
(カッコ内の数字は、地図の番号と対応しています)
(01)京成本線・市川真間駅―(02)文学の道―(03)浮嶋弁財天―(04)真間の継橋―(05)手児奈霊神堂―(06)真間稲荷神社―(07)真間山弘法寺 仁王門―(08)真間山弘法寺―(09)真間山弘法寺 朱雀門―(10)太刀大黒尊天―(11)弘法寺古墳―(12)弘法寺裏―(13)芳澤ガーデンギャラリー―(14)須和田公園―(15)郭沫若記念館―(16)石像―(17)下総国分僧寺跡―(18)下総国分寺―(19)宝珠院―(20)天満宮―(21)下総国分寺跡―(22)庚申塔―(23)青面金剛石碑―(24)下総国分尼寺跡―(25)石碑群(馬頭観音)―(26)急な下り階段―(27)青面金剛石碑―(28)じゅん菜池緑地―(29)水生植物保護区域―(30)小塚山フィールドアスレチック―(31)堀之内貝塚裏口―(32)堀之内貝塚―(33)歴史博物館―(34)考古博物館―(35)ジュンサイ池北端―(36)回向院別院―(37)国府台緑地―(38)天満神社―(39)里見公園入口―(40)里見公園―(41)国府台城跡―(42)羅漢の井―(43)水神宮―(44)京成本線・国府台駅
コースの地図
コースの区間距離
ポイント | 区間距離 | 累計距離 |
(01)市川真間 (いちかわまま) 駅 | ― | ― |
(06)真間稲荷神社 | 1,670m | 1,670m |
(07)真間山弘法寺 (ぐほうじ) 仁王門 | 169m | 1,839m |
(12)弘法寺裏 | 758m | 2,597m |
(13)芳澤 (よしざわ) ガーデンギャラリー | 568m | 3,165m |
(15)郭沫若 (かくまつじゃく) 記念館 | 708m | 3,873m |
(18)下総国分寺 | 551m | 4,424m |
(19)宝珠院 | 131m | 4,555m |
(21)下総国分寺跡 | 241m | 4,796m |
(24)下総国分尼寺跡 | 513m | 5,309m |
(28)じゅん菜池緑地 | 845m | 6,154m |
(29)水生植物保護区域 | 891m | 7,045m |
(31)堀之内貝塚裏口 | 1,020m | 8,065m |
(32)考古博物館 | 320m | 8,385m |
(31)堀之内貝塚裏口 | 487m | 8,872m |
(36)回向院別院裏口 | 1,210m | 10,082m |
(36)回向院別院 | 310m | 10,392m |
(39)里見公園入口 | 938m | 11,330m |
(42)羅漢の井 | 402m | 11,732m |
(44)国府台 (こうのだい) 駅 | 1,240m | 12,972m |
コースの写真
こちらをご覧ください ⇒ 073-市川国府台の森と歴史散策:京成本線・市川真間駅~国府台駅
コースの説明
(01)市川真間駅―(02)文学の道―(03)浮嶋弁財天―(04)真間の継橋―(05)手児奈霊神堂―(06)真間稲荷神社―(07)真間山弘法寺 仁王門―(08)真間山弘法寺―(09)真間山弘法寺 朱雀門―(10)太刀大黒尊天―(11)弘法寺古墳
文学の道(文学の散歩道)
暗渠部分の桜並木、および真間川沿いに、市川ゆかりの作家、歌人、俳人を紹介する説明板がたてられています。読みふけってしまうと時間が足りなくなるので、ほどほどで切り上げましょう。
浮嶋(浮島)弁財天
浮島弁財天の祠は、以前は川を隔てて真間小学校の斜め右手 [通称 弁天様の森] のところに、真間川の中に突き出た島に鎮座していた。
その当時は浮島弁財天に参拝するためには、二方向からの橋を渡らなければ行けず、祠の後ろには御神木といわれる欅の古木があり、根元の虚(うろ)には白蛇が棲んでいたといわれている。
古来より、浮島弁財天に願をかけて成就した者は大変多く、……霊験あらたかであり、近隣はもとより遠方からの参拝者も後を絶たない。
(真間山弘法寺・浮島弁財天講による現地説明板より)
真間の入江、真間の継橋 (つぎはし)、手児奈 (てこな) の物語、手児奈霊神堂
奈良時代になるまえの話、「手児奈の物語は、美人ゆえ多くの男性から求婚され、しかも自分のために人びとの争うのを見て、人の心を騒がせてはならぬと、真間の入江に身を沈めたとか、継母に仕え真間の井を汲んでは孝養を尽したとか、手児奈は国造の娘でその美貌を請われ、或る国の国造の息子に嫁したが、親同士の不和から海に流され、漂着したところが生まれ故郷の真間の浦辺であったとか、さらには神につかえる巫女であったりする等、いろいろと形を変えて伝えられている」(現地説明板「手児奈霊堂」(市川市教育委員会、平成28年11月))そうです。
「手児奈霊神堂 由来」には、「美しい里娘「手児奈」」のお話がやさしく載っています。ぜひご一読ください。また、ここには737年に手児奈の話を聞いた行基菩薩が、その霊を弔うために「求法寺」を建てたという由来が書かれています(手児奈霊神堂ホームページ)。
手児奈の話は、「葛飾の真間の入江にうちなびく 玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ」(山部赤人の歌;現地説明板(市川市教育委員会、平成2年3月))など万葉の歌人たちの心を惹き、万葉集にも詠まれています。
ところで、「「真間の入江」とは、市川市北部を形成する下総台地とその南につくられた市川砂洲、現在、国道14号線と京成電車が並行して走っている地域との間にできた入江のこと」(同前、市川市教育委員会、平成2年3月)だそうです。推測ですが、これから歩く、こんもりと高くなっていて樹が生い茂った弘法寺、須和田公園、下総国分寺跡のあいだにある低地が入江だったのではないかと思います。
そして、この入江にある砂洲と砂洲のあいだに架かった橋が「真間の継橋」なのでしょう。
真間山 弘法寺 (ぐほうじ)
真間駅から文学の道を通り過ごし真岡弘法寺に。門を入ると新緑とどっしりとした大木に囲まれた空間に鳥の声が響く、境内には小林一茶などの句碑や「伏姫桜」(伏姫 (ふせひめ) は、南総里見八犬伝のヒロイン) と呼ばれる樹齢400年のしだれ桜があり奥深い感じがする。また鹿威し (ししおどし) の音が静けさの中に心地よく響く、(静けさや、静けさや……)
春、秋にも、お薦めです。
弘法寺への階段は、標高4mから20.3mへと、水平距離60mのあいだに16.3m上る斜度15度の急な階段です (階段の左には女坂のような坂道の道路があります)。下から27段目は、泣いてぬれているように見える「涙石」です。階段を上りきったところに仁王門、その右側に鐘楼堂が控えめに建っています。
弘法寺の歴史には、奈良時代に民衆への布教を行い貧民救済やインフラ整備などに尽くし、81歳で亡くなって朝廷から「菩薩」のおくりなを贈られた行基、平安時代に唐へわたり中国より真言密教をもたらした空海、鎌倉時代に日蓮宗を開いた日蓮、という仏教の大先人の名前が刻まれています。このように弘法寺が扱われたことは、弘法寺が下総国総社跡(その近くに下総の国府があったと推定される)の真南500mにあり、国府台の台地が海に突き出す場所にあることと関係するかもしれないと、勝手に想像してしまいました。
真間山弘法寺は奈良時代、行基菩薩が立ち寄り里の娘の悲話を聞きその心情を哀れに思われ「求法寺」を建て手厚く霊を弔われ、平安時代に弘法寺大師空海が寺運を一新して「求法寺」から「弘法寺」へ改称されたと伝えられています。
大黒堂に安置されている太刀大黒天神像は日蓮大聖人が自ら彫刻して55歳まで肌身離さなかった尊像ですが、後に、日頂上人に授けられ、日蓮宗本山として開基し初代貫主となった日頂上人がここに安置しました。
弘法寺は、室町・戦国時代には門前町がにぎわっていたそうです。
江戸時代には紅葉の名所として知られ、いまでも秋には真っ赤な紅葉が見られます。
境内案内は 真間山弘法寺ホームページ をご覧ください。
真間山弘法寺Facebook では、日々のお寺の様子を発信しています。
たとえば伏姫桜の開花状況が写真入りで載っていて、2019年の満開の様子 を見ることができます。
なお、弘法寺の西側に弘法寺古墳があります。崩れていて全体を把握しにくいのですが、全長43m、前方部は幅15m・高さ3m、後円部は直径20m・高さ3mの前方後円墳です。
(12)弘法寺裏―(13)芳澤ガーデンギャラリー―(14)須和田公園―(15)郭沫若記念館―(16)石像―(17)下総国分僧寺跡―(18)下総国分寺―(19)宝珠院―(20)天満宮―(21)下総国分寺跡―(22)庚申塔―(23)青面金剛石碑―(24)下総国分尼寺跡―(25)石碑群(馬頭観音)―(26)急な下り階段
芳澤ガーデンギャラリー
弘法寺を北に抜け、突き当りを左、東に歩いていくと千葉商科大学のキャンパスがあります。さらに進んだ突き当りは見晴のいい高台で、正面にはこれから行く須和田公園の森が見えます。右へ、カーブしながらくだる急な坂道を降りていくと、芳澤ガーデンギャラリーがあります。ここは2004年9月開設、市川市文化振興財団が管理運営しています。敷地面積は約1,000坪あって、多彩な木々や草花が植えられた庭園を活かした美術館です。展覧会は有料ですが、庭園は無料で入場できます。
開館時間:9:00~17:00
休館日:毎週月曜日(※祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4)
須和田公園、郭沫若 (かくまつじゃく) 記念館
芳澤ガーデンギャラリーから坂道を登った須和田台地中央部に位置する須和田公園は、弥生時代中期から平安時代初期にかけての集落遺跡(須和田遺跡)を整備した公園です。木々におおわれ、郭沫若(かくまつじゃく)の「須和田」詩碑やバラ園もあります。春にはサクラが咲きます。
須和田公園から北にすすむと、郭沫若記念館があります。中国の文学者であり政治家であり歴史学者でもあった郭沫若が、昭和3年から約10年間住んでいた須和田の旧宅を移築・復元したものです。開館日は毎週金・土・日曜日で、開館時間は10:00~16:00です。
郭沫若については、市川市ホーム > 文化・観光・国際情報 > 文化 > 文化人 > 郭沫若 が詳しく紹介しています。
下総国分僧寺跡、国分山国分寺、下総国分寺跡、下総国分尼寺跡
日照りや地震で飢きんが起き、天然痘で多くの人が亡くなり、反乱も起きた奈良時代中ごろの741 (天平13) 年、聖武天皇は仏教による国家鎮護のため、「国分寺建立の詔」を発し、日本全国で約60か所、それぞれの国の最も良い場所に国分寺(国分僧寺と国分尼寺)を建立するよう命じました。
下総の国でもこの詔によって下総国分寺が建立されました。
国分僧寺は過去数回の火災で焼失しましたが、発掘調査で、金堂、講堂、塔の遺構が発見されています。現在の国分寺境内の説明板によると、南大門は天平創建当初は、現在位置の南方約20m・西方約7mに建立されましたが、数回の火災に遭って位置も移動し、18世紀半ばに建立された山門も明治24年に焼失し、このとき、山門内に安置された仁王尊の阿形像は火中より救出され、吽形像は焼失。その後、昭和49年に大佛師法橋松久明琳氏が阿形像は補修、吽形像は造像して復元されたとのことです。
下総国分僧寺跡から北西500mのところにある下総国分尼寺は、昭和42年の発掘調査で金堂、講堂の遺構が発見されました。
下総国分寺跡については、市川市ホーム > 市政情報 > 市政の運営 > 教育委員会 > 文化財(国指定)-下総国分寺跡 に、下総国分尼寺跡については、市川市ホーム > 市政情報 > 市政の運営 > 教育委員会 > 文化財(国指定)-下総国分尼寺跡 に説明があります。
じゅん菜池緑地
国分尼寺跡の西隅にある馬頭観音石碑群を北へまがり、1年前に和洋女子大学の敷地に移転した和洋学園和洋国府台女子中学校の跡地を横に見て住宅街をすすみ、斜度16度ある急傾斜の階段を下りて300m弱いくと、じゅん菜池緑地の正面入口があります。
ここは「国分沼」という名前の古くからある沼で、「じゅん菜池」と呼ばれるようになるほど、じゅん菜がたくさん採れましたが、昭和の初めごろ沼は干上がり、戦後は田んぼとして利用されていたそうです。しかし、沼の復元をという地元の方々の要望で、昭和54年にじゅん菜池緑地として整備されました。
じゅん菜緑地は広々とした豊富な水と新緑の美しさ、四季を通して観ると、また違った美しさがあると思います、どことなく鳥のさえずりに時を忘れるかもしれません。緑地には梅林が2か所あり、新緑やツツジ、秋はキンモクセイ、モミジやカエデの紅葉が見られます。沼の北のほうでは水生植物の保護育成をしていて、6月はじゅん菜の時期とのことでしたが、残念ながらじゅん菜を見ることはできませんでした (2019年6月5日訪問)。
じゅん菜池緑地の北からは、標高差10mの尾根を乗っ越し、小塚山フィールドアスレチック、小塚山公園を通って堀之内貝塚公園へと、「水と緑の回廊」(市川市ホーム > 暮らしの情報 > 自然・環境・緑化 > 緑化 > 北西部水と緑の回廊)に沿って森の中を進んでいきます。
(31)堀之内貝塚裏口―(32)堀之内貝塚―(33)歴史博物館―(34)考古博物館―(31)堀之内貝塚裏口
小塚山公園には外郭環状線の小塚山トンネルが掘られていて、外環線を横切った正面の森が堀之内貝塚公園です。公園は金網で囲まれていますが、公園の西の隅に簡単な金網の扉があって、フックを回して入ることができます (通り抜けたら、必ず閉めておくこと)。
貝塚公園は縄文時代の後期にかけて形成された馬蹄貝塚、今は国指定史跡で一般市民の公園として整備されています。が、中に入っても道案内の標識はまったくありません。森の中につけられた踏み跡のような小径を東北東の方角へ、丘の高いほうへと200m弱、標高差11mほどのぼっていくと、途中にやや広く、昔は舗装された痕跡が残る道にぶつかるでしょう。ベンチのある小さな広場に出るかもしれません。木のあいだから、北のほうに建物が見えたら市立市川歴史博物館です。はじめに、その先にある市立市川考古博物館を見学しましょう。
市川市立市川考古博物館は、市川市内の遺跡から出土した縄文時代から平安時代にかけての文化財などが展示されています。
市川市立市川歴史博物館は、鎌倉時代以降の市川の歴史や文化を展示しています。
両博物館とも、入館料:無料、開館時間:9時~16時30分、休館日は月曜および年末年始 (12月28日から1月4日)、ただし、月曜が国民の祝日の場合は開館して火曜が休館。
歴史博物館の横の広場から森に入ると、鳥居や「史跡 堀之内貝塚」と書かれた石碑が見えます。堀之内貝塚の説明は、ホーム > 市政情報 > 市政の運営 > 教育委員会 > 文化財(国指定)-堀之内貝塚 にあります。
貝塚には縄文時代からの貝殻の破片が永い間、土とともに共存されています。訪問したとき、近隣の小学生たちのグループが、自然観察なのか、学芸員の方の説明を聞いていました。とくに石碑のあたりを歩くと、シャリシャリと貝殻を踏んでいる感触があり、地面をよく見ると、白い貝殻がそのままのかたちで落ちています。雨が降ったあと、地表に出てくるのだそうです。貴重な貝殻なので持ち帰らないでください、と。
いまから3,000年前、4,000年も前の貝殻を手に取って見るって、興奮します。
森の中の小径を下っていくと、入ってきた「裏口」に着きます。扉から外に出たら、フックを元に戻しておきましょう。
(35)ジュンサイ池北端―(36)回向院別院―(37)国府台緑地―(38)天満神社―(39)里見公園入口―(40)里見公園―(41)国府台城跡―(42)羅漢の井―(43)水神宮―(44)国府台駅
カフェテラス回向院
堀之内貝塚公園を出て、ふたたび「水と森の回廊」をもどり、じゅん菜池緑地の北端を回り込んで、台地にのぼっていきます。坂の両側には寺院が並んでいます。坂をのぼりきるまえあたりの右側に、「回向院カフェ」という小さな案内が(営業しているときは)でています。その木戸のような入口から細い石畳の道を入っていくと、手入れの行き届いた日本庭園のむこうに、カフェテラス回向院があります。ひと休みに、いかがでしょう?
国府台緑地
カフェテラス回向院に寄らないときは、回向院別院を回り込むように松戸街道に出て信号のある横断歩道を渡り左へ行くと、国府台緑地の入口があります。ここも「水と緑の回廊」の一部です。
国府台緑地は、市川市街地に残された最大の緑地(面積5.1ヘクタール)で、雑木林のあいだを遊歩道が続いています。道はまがりくねりながらくだり、左右への別れ道にきたら、左にすすんでください。一般道にぶつかったら横切って、ふたたび林の中へのぼっていきます。あるいは、そこにある標識「50m先を左折」に従って一般道を右に50m弱進んだ細い道を左折しても、同じところに出てきます。このあたりは進路が分かりにくいので、おかしいと思ったら引き返し、もういちど方向を確認して進みましょう。
里見公園の塀が見えてきたら、右手に天満宮があります。
里見公園
里見公園は、里見氏と北条氏とが戦った古戦場で、里見軍将兵の供養塔があります。また西洋庭園には噴水やバラ園もあり、薔薇の薫りにうっとり。園内にはバラ園のほかに、桜、藤棚、梅林、モミジ林があって、四季折々の植物が楽しめます。
標高約20mの台地にあって、西側を流れる江戸川の先には東京スカイツリータワーが見え、晴れていれば富士山を望めるそうです。
市川市ホーム > 市政情報 > 施設のお知らせ > 緑と公園 > 里見公園、千葉の公園ガイド > 市川市 > 里見公園 に、里見公園のマップや見どころ紹介などが詳しく載っています。
里見公園の南端にある急な階段をくだって、羅漢の井へ下りましょう。高台にあるのに、一年中絶えることなく清水が湧き出ています。ここからは、江戸川に沿って土手を歩いていきます。真間川が江戸川に注ぎ込む根本排水機場のてまえ、江戸川にはりだしたテラスが終わるところで土手から降りると水神宮が祀ってあり、信号で松戸街道をわたり「根本発展会」という看板のある道にはいれば、京成本線・国府台駅はすぐです。
途中で、つかれてしまったら・・・
- 堀之内貝塚公園から、北総線・北国分駅まで約600m(徒歩8分ぐらい)です。
- じゅん菜池緑地の北の出口から、北総線・矢切駅まで約400m(徒歩6分ぐらい)です。
- バス停「小学校(市川市)」から、京成バス [松11] (松戸営業所⇒市川(北口)行き)で、京成本線・国府台駅あるいはJR総武線・市川駅へ行けます。バスは5,6分間隔で頻繁にはしっています。