古代の記憶・武蔵国分寺跡を歩く:JR西国分寺駅~JR国分寺駅 (501):5km

奈良の時代から連綿とつづく人びとの営みが目の前に見えるような、静かな散歩みち。
こんなところを歩きます。
奈良時代の天平年間(紀元729~749年)に災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教を篤く信仰し、天平13(741)年には各国に国分寺建立を、天平15年には東大寺盧舎那仏像造立を命じました。府中(大國魂神社境内周辺)に国府があった武蔵国においても、その北方約2km、東山道武蔵路をはさんだ東に武蔵国分寺、西に武蔵国分尼寺が建立されました。
武蔵国分寺跡は他の国分寺跡よりも大規模で、国指定史跡になっています。
東山道武蔵路は本州内陸部を近江国から陸奥国に至る東山道の支線で、上野国(現在の群馬県)から南下して武蔵国府に至る街道で、この付近の道路幅は12メートルありました。東京都教育委員会の「東京都文化財めぐりホーム > 府中・国分寺散策コース > 武蔵国分寺跡 附東山道武蔵路跡」に、概要が掲載されています。
今回はJR西国分寺駅から、(この東山道武蔵路と並走しているかのような) 鎌倉時代、幕府のあった鎌倉と各地を結んでいた「鎌倉街道上道」と考えられている伝鎌倉街道をとおって、武蔵国分尼寺へ向かいます。途中、尼寺北方の塚(14・15世紀頃、種々の祈願成就のために築かれた修法壇跡;底面の1辺約22メートル、高さ約3メートルで、1辺約7メートルの平坦な頂部をもつ方錐体と推定される=現地説明板より)、伝祥應寺跡(鎌倉時代末期の寺院跡)が切通しの両側にひっそりと残っています。
武蔵国分寺跡から国分寺崖線に向かうと、立派な山門が見え、その奥に武蔵国分寺と万葉植物園があります。
武蔵国分寺、武蔵国分尼寺は、何十万年まえ、関東ローム層の下に存在した古多摩川が浸食して出来た国分寺崖線の下に位置しています。ハケ(崖)から水が湧く南面で日当たりのいい豊かな土地で、現在は歴史公園として整備され、崖線にあるお鷹の道・真姿の池湧水群は環境省選定名水百選・都名湧水に選ばれ、環境が保全されています。
*詳しいコース写真は、⇒ コチラ をクリックしてください。
コース地図です。(地図上部の深緑色の帯の右端にある四角をクリックすると、画面が大きくなります)
コースです。(丸囲みの赤字の数字は、地図上の番号と対応しています)
JR中央線/武蔵野線・西国分寺駅―(東山道武蔵路跡②)―伝鎌倉街道⑤―尼寺北方の塚④―伝祥應寺跡③―武蔵国分尼寺跡⑥―武蔵国分寺中門跡・築地塀跡⑦―武蔵国分寺七重塔跡⑧―武蔵国分寺金堂・講堂跡⑨―武蔵国分寺楼門⑩―武蔵国分寺⑪―武蔵国分寺薬師堂⑫―武蔵国分寺万葉植物園⑬―市重要有形文化財(建造物)旧本多家住宅長屋門・倉⑭―武蔵国分寺跡資料館⑮―お鷹の道 真姿の池湧水群⑯―伽藍地(寺院地)北辺の区画溝跡⑰―不動橋ポケットパーク⑱―野川の不動明王と庚申塚⑲―殿ヶ谷戸庭園入口⑳―JR中央線・国分寺駅南口