忍城・さきたま古墳群・古代蓮の里を歩く (067)-7~12km

C) 移動区間-2

C) 移動区間-2の写真は、コチラ をご覧ください。

―(18)高源寺―(19)大日塚古墳―【1,948m

佐間天神社からさきたま古墳までは、車の往来の多い単調な道路で、途中から歩行者用側道があります。
まずは、佐間天神社の向かいにある高源寺へ向かいましょう。

高源寺

臨済宗円覚寺派天真山高源寺は、佐間口の合戦の戦死者を弔うために正木丹波守が建立した寺院だと伝えられていますが、どのような戦いがここで行われたのか、記録は残っていないそうです。
石田三成軍2万による水攻めに、忍城佐間口を守っていた正木丹波守は奮闘し、城が破られることはありませんでしたが、小田原城での籠城に参戦していた忍城主成田氏長が敗れたため、忍城は開城することになりました。
この戦いで無常を感じた丹波守は武士を捨て、高源寺を開基しました。
境内に丹波守利英の墓石があります。

高源寺

ここからは古墳通りをさきたま古墳へ向かっていくと、右側に造り酒屋「川端酒造」があります。清酒桝川は、全国【新酒鑑評会】において平成23年と平成24年(100回記念)の2年連続で金賞を受賞しました。店頭で購入できます。
左側に、佐間神明社参道の真新しくて小さい鳥居を見ながら進み、お寺(妙音寺)を越えたところの路地を右折し、道なりに右へ歩くとすぐ行田市埋蔵文化センターが見えます。

大日塚古墳

大日塚古墳は直径約18mのこんもりした円墳です。多摩川流域にある古墳のほとんどは、このくらいの大きさです。これから行くさきたま古墳群の古墳がいかに巨大かを知るためにも、ここに寄ってみたらいかがでしょうか。

大日塚古墳の築造時期は、さきたま古墳群の稲荷山古墳に近い6世紀前半ごろと推定されています。
墳頂に嘉禎2 (1236) 年銘のある大日種子板碑があったので「大日塚」と称され、この板碑は日本で5番目に古い板碑です。

大日塚古墳

A) 移動区間-1
B) 忍城
参考) 足袋蔵めぐり
C) 移動区間-2
D) 古墳群
E) 移動区間-3
参考) 古墳博物館から「さきたま緑道」を歩いてJR北鴻巣駅へ
F) 古代蓮の里

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