武蔵野台地の水辺と森・遺跡を歩く(516)-12km

東京名湧水57選

08-新小金井街道、09-下里本邑遺跡公園遺跡館、10-下里氷川神社

Map-08_10
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清瀬駅南口の商店街を抜けると信号「清瀬高校入口」の五差路に差し掛かる。ここは左折して、次の信号「松山一丁目」から右斜めの路地に入る。道なりに進むと08-新小金井街道にぶつかる。この角にある武蔵野手打うどんの店は、太くて腰があるうどんに、大きく切った野菜天が美味しかったが、口コミだと、昼早く売り切れるらしいので、要注意。

  • このY路地を右へいく
  • 新小金井街道の手打うどん店

新小金井街道に沿って、脇を流れている野火止用水とともに歩みをすすめる。左側の林は野火止用水歴史環境保全地域(野火止地区)で、散策路がある。が、すぐに児童遊園を抜けて、新小金井街道に出てしまった。

  • 野火止用水
  • 野火止用水歴史環境保全地域

やがて新小金井街道は信号「押出し橋」で、直進する野火止用水(および野火止通り)と分かれて大きく左へとカーブし、そこそこの勾配を、黒目川に向かって下っていく。

  • 新小金井街道は野火止用水と分かれ、左にカーブ
  • 下り坂の途中の横断歩道横

野火止用水と野火止台地

柳瀬川から、黒目川に近いここまで野火止台地を歩いてくると、野火止用水がどんなところを流れているのかが、実感できる。

野火止用水は、川越藩主松平信綱が承応4 (1655) 年、水に乏しい関東ローム層の野火止台地に工期40日で作らせた長さ24kmの飲料・生活用水で、のちに田用水としても利用された。幕府老中でもあった信綱が1653年、江戸市中へ飲料水を供給するために開削した玉川上水から分水し、途中、平林寺堀にも分岐しながら、江戸近郊の開発を支えていった (野火止用水と平林寺については、「平林寺・野火止用水:新座駅~東久留米駅 (011) -11km」 をご覧ください)。

野火止台地は、多摩川と荒川の両水系によって境された、武蔵野台地の北西端部に形成された「ヤツデ葉」状の一支台です。東側の黒目川が流れる開析谷と西側の柳瀬川が流れる開析谷に挟まれ、荒川右岸の低地にその先端が接しています。……野火止台地の崖線は、黒目川に面する地域は急峻ですが、柳瀬川に面する地域は比較的緩やかな傾斜となっています。台地と低地との高低差は 10~13mあります。

https://www.city.niiza.lg.jp/uploaded/attachment/7104.pdf
国土地理院地図から作成。

坂の途中、横断歩道橋のところに、下里本邑遺跡公園がある。

下里本邑遺跡公園

下里本邑遺跡公園の案内板

「下里本邑遺跡は、黒目川最上流部の舌状台地(本邑台地)先端に位置する、旧石器時代から奈良・平安時代の複合遺跡です。昭和53年(1978)東京都住宅供給公社による集合住宅建設に伴い、発掘調査が実施されました。旧石器時代から縄文時代早期の遺物が台地下の礫層から出土したことは、生活の拠点は台地上に形成される、という従来の考古学的所見を覆す重要な発見となりました」 (東京都教育委員会・東京都文化財めぐりホーム > 北多摩散策コース > 下里本邑遺跡)。そして、舌状台地先端部が下里本邑遺跡公園として整備され、黒目川に近い河成低地保存区域には下里本邑遺跡館が建てられている。

下里本邑遺跡公園のなかには下里本邑遺跡館の場所を示す案内が見当たりませんでした。場所が分からない場合は、団地の方にうかがうことをおすすめします。

  • 下里本邑遺跡公園
  • 下里本邑遺跡公園
  • 下里本邑遺跡公園

下里本邑遺跡公園は木陰の広場があり、トイレもあるので、お昼ごはんをゆったり食べるにはいい場所だ。

下里本邑遺跡館から新小金井街道に出たところに信号「本村小学校前」がある。ここで街道を横断し、坂を下るとすぐ黒目川だ。黒目川の川幅は、このあたりは広いが、流れは少ない。しかし、大雨が降ると、両岸から水が流れ込んで川いっぱいになるんだろう。橋を渡らないで、黒目川に沿って歩く。梨園らしき畑もある。すぐに広い道路にぶつかるが、川沿いの道はなくなるので、ぶつかった新宮前通りを西に進む

すると、通りから右斜め入る路地の奥に、木々に囲まれた鳥居が見えた。

  • 信号「本村小学校前」
  • 川幅が広い黒目川
  • 黒目川は直進するが、川沿いの道はない
  • 右奥に鳥居が見えた

その路地の突き当りの森が、下里氷川神社だ。下里氷川神社へ上る鳥居の手前に黒目川が流れている。小さな橋の下を流れる黒目川が涼しげだ。橋のたもとに厳島神社もある。

下里氷川神社

下里氷川神社
下里氷川神社

境内にある氷川神社御由緒には「御祭神須佐之男命 縁起創立年月日不詳であるが長禄元年(1457)九月再建したと記されている。古くは旧神宮寺が別当寺であったが神仏分離により所管替えとなったものである。明治十年村社に列格」と書かれてあるが、よく分からない。神宮寺は廃寺となったようだ。

立派な神社で、周辺の人たちがよくお護りしているように思えるが、宗教法人東京都神社庁のサイトを見ると、同じ東久留米市には「南沢氷川神社」(https://is.gd/1vCOLW)しか掲載されていない。

  • 下里氷川神社(鳥居の前を黒目川が流れている)
  • 厳島神社
  • 不動明王が護る結界(?)
  • 氷川神社拝殿
  • 下里氷川神社の末社
  • この鳥居から下りる

境内末社は、下里招魂社、白山神社、妙義神社、榛名神社、御嶽神社、富士浅間神社、秋葉神社、八雲神社が並んでいた。その横の鳥居をくぐって階段を下り、神社と分かれる。

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