縄文のウルシと元弘の乱をたどるハイキング:東村山市 (515)-10km

[区間]  久米川総鎮守、大ケヤキを見て、鎌倉古街道をあるく

梅岩寺山門の大ケヤキ

徳蔵寺板碑保存館―當間稲荷―久米川熊野神社富士塚―庚申塔「青面金剛王」―梅岩寺 (大ケヤキ)―白山神社・牛頭天王像―鎌倉古街道―カフェ「縁ひらく庭 百才 (ももとせ)」―東村山ふるさと歴史館

 徳蔵寺板碑保存館の前の道のゆるい傾斜を南東方向へ上り、西武新宿線の踏切を越えてすぐの小道を左へ曲がります。
 左側にある當間稲荷の小さな祠を通りすぎ、道なりに進むと熊野神社の林が見えてきます。この小道は、後ほど説明する「鎌倉古街道」の一部だったようです。
 久米川熊野神社の境内は広く、立派な拝殿と本殿です。本殿の左手に境内社があり、さらに左には児童公園が見え、トイレもあるようです。境内の右手奥にこんもりした盛り土があり、ここが富士塚です。
 富士塚の脇から境内を抜けて、右手へゆるい坂をのぼり、自動車が往来する道路を越え、庚申塔「青面金剛王」の角から梅岩寺の参道が左に伸びています。参道の先に、大きなケヤキが3本立っていて、梅岩寺山門を右から覆うような、ひときわ巨大な古木が「梅岩寺の大ケヤキ」です。
 梅岩寺から、府中街道を南下、久米川辻の交差点を右折し、西武新宿線の踏切手前を左折します。この路が「鎌倉古街道」です。街道沿いにある白山神社に立ち寄り、ご興味がある方はカフェ「縁ひらく庭 百才 (ももとせ)」に寄り道(事前に、営業日・営業時間をご確認ください)し、熊野神社は後回しにして先に東村山ふるさと資料館に向かいます。
 この区間は、きょうのコース区間のなかではいちばん長い区間距離(約3km)です。

久米川熊野神社・富士塚

久米川熊野神社

 久米川町の鎮守・熊野神社は、言い伝えによると、新田義貞が久米川合戦の時、後詰 (ごづめ) を置いた所とされています。
 創建はさだかではありませんが、境内から応永32 (1425) 年の銘がある鰐口・香炉が発見されており、鎌倉・室町時代から社殿が存在していたと考えられています。
 御神宝は大・中・小の丸い3つの玉石です。稲荷神社、神明宮、伊勢神宮、武蔵国御嶽神社の境内社が祀られています。

 境内奥に、久米川の富士塚が築かれています。
 山腹には、「日立」という富士講の名が記された石碑が立っています。
 山頂には「日立講明治二十一年四月入間川先達富山常行」の銘が刻まれた富士浅間社の石祠が建立されていたようですが、確認できませんでした。

 富士塚の登山口脇から出て、梅岩寺に向かいます。

梅岩寺 (大ケヤキ)

梅岩寺

 梅岩寺の創建年代は不詳ですが、真言宗白華山観音寺として応永5年(1397)創建と伝えられ、戦国時代の兵乱で焼失、その後曹洞宗に改め芳林山梅岩寺と改号、明治時代前後に、大宙山瀧谷寺を合併しています。

 富士塚から歩いてきて左折する道の角に、「青面金剛王」と書かれた立派な庚申塔が立っています。ここからが、梅岩寺の参道です。青面金剛は中国の道教思想に由来し、密教・神道・修験道や日本のさまざまな民間信仰・習俗が複雑に混じりあった庚申信仰の尊格で、病魔、病鬼を退散させる威力を持つとされています。

 参道から見ると、山門の左から塀に沿って境内内側にケヤキの大木が3本並んでいます。山門のすぐ左脇にある木が東京都指定天然記念物のケヤキで、幹回り7.3mあって、都内有数のケヤキです。

 また、山門の右にはうっそうと茂った大木が立ち、これは幹回り5m、樹齢約600年のカヤです。

 なお梅岩寺は、2020年3月29日に新型コロナウイルスに感染して亡くなった志村けんの菩提寺です (墓は、少し離れた共同墓地にあるそうです)。

白山神社・牛頭天王像

牛頭天王像

 創建年代等は不詳ですが、白山神社が鎌倉古街道に面していることなどから、創建は中世に遡るのではないかともされています。
 現在は、小さな境内ですが、明治4年の図面には、南北四六間、東西一〇間の、細長いけれど広い境内地が描かれていました。

 また境内には、明治の初め頃に井戸の中から発見されたという、高さ67㎝で石造丸彫りの座像「牛頭天王像」が安置されています。
 牛頭天王は頭に牛頭をいただき、素戔嗚尊 (すさおうのみこと) と同体ともされています。
 平安京の祇園社の祭神であるところから祇園天神とも称され、平安時代から疫病や災厄を司る行疫神として崇め信じられてきました。

鎌倉古街道

鎌倉古街道の説明

 白山神社の前の細い道路は、鎌倉古街道でした。

縁ひらく庭 百才 (ももとせ)

縁ひらく庭 百才 (ももとせ)

 空き家だった古民家を改装した文化複合スペース。お庭とお不動様に囲まれた2棟の古民家が、シェアキッチン・ブックラウンジ・アトリエ・カフェスタンドとして2019年7月、生まれ変わりました。
 コミュニティ・カフェは金・土・日曜日10:00~18:00の営業のようですが、事前に電話で問い合わせたほうがいいでしょう (042-306-3350)。
 フェイスブックサイトは、百才[ももとせ]です。

 百才 (ももとせ) とは、
 1 0 0 年 、
 10 0 歳という意味 。
 も の づくり、ま ちづくりに 関 わ
 る た くさ ん の 才( 能 )が 集 ま
 り、文 化 を 育 む ターミナル とし
 て、ま た 、ま ち の 人 の 拠 りど こ
 ろ と し て 、世 代 を 引 き 継 い で
 この 空 間 資 源 が 続くようにと
 願 いを 込 めて名 付 けました 。

百才準備ノート より。)

東村山ふるさと歴史館

東村山ふるさと歴史館

 狭山丘陵の稜線、武蔵野の雑木林をイメージした、広々としたスペースの博物館です。
 開館日・開館時間は、ふるさと歴史館をご確認ください (入館料・無料)。

 常設展示室は、東村山の歴史を原始・古代・中世・近世・近代・現代と時代に沿って、当市で発掘された土器・石器、歴史を語る板碑いたびや古文書などを展示しています。
 また、東村山の歴史を象徴する、多摩湖町で出土した「瓦塔 (がとう)」のレプリカ、国の重要文化財「元弘の板碑」のレプリカ、国宝「正福寺地蔵堂」の模型なども展示されています。
 さらには、「雑木林とくらし」をテーマにした民俗の展示があります。
 特別展示室では、さまざまなテーマで企画展・特別展を開催しています。

 東村山ふるさと歴史館の展示内容については、東村山市トップページ >【たのしむらやま】東村山の楽しみ方 > 歴史・文化を学ぶ > 東村山ふるさと歴史館 > ふるさと歴史館展示案内 をご覧ください。

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