縄文のウルシと元弘の乱をたどるハイキング:東村山市 (515)-10km

[区間]  東村山駅を出発し、八国山たいけんの里へ

正福寺地蔵堂
正福寺地蔵堂(国宝)

西武新宿線・東村山駅西口―弁天池公園―大善院―正福寺地蔵堂北山公園八国山たいけんの里

 西武新宿線・東村山駅は、いま大工事中です。駅のすぐ北(所沢駅寄り)にある踏切が、交通量の多い五差路で危険なため、この部分を高架にする工事だそうです。
 西口駅前広場を出てすぐの五差路から、住宅街のなかの細いなだらかな坂道をくだり、真っ赤に塗られた弁天橋で前川を渡りまっすぐ進むと弁天池公園です。畑に囲まれた窪地にあって、かつてはもっと大きな池で、農業用水として利用されていたのかもしれません。この奥が大善院です。
 弁天池公園をまわりこみ、木が多い静かな住宅街をあるいていくと正福寺の立派な山門があらわれます。鳥たちの鳴き声も聞こえます。
 庚申塔の角を右折して正福寺寺域をまわりこみ、左にこんもりとした森を見ながら、本格手打ちうどん 野口製麺所 本店を通りすぎると、北山公園到着です。
 6月上旬、広々した園内にハナショウブが色とりどりの花を咲き競わせ、花びらの形状も個性豊かです。公園北側を西武電車が通り、その先は八国山緑地の森です。
 公園からは西端の橋をわたり、狭い狭い路を川に沿って、東村山市立北山小学校を通りすぎると八国山たいけんの里の建物が見えます。

  • ハナキササゲ

以上、大善院、正福寺、北山公園の写真です。

大善院

境内の不動明王眷属三十六童子

 天台宗寺院の大善院は、明治32(1899)年に当地へ移転。

 地元では「野口のお不動さま」「水子地蔵堂」として知られているそうです。

 溶岩でつくられた山に立っている不動明王眷属三十六童子は、迫力があります。

 当地に移転した詳しい経緯は、以下のようです:

「大善院は以前、八王子市 (元かすみ村) 本寺恵日山圓通寺の塔頭で縁起によると、天正元年に旧修験を廃し正寺格に改め、正徳2年海要権大僧都により再建し法印を以って中興の開基とす。
 後の明治8年暴風に遭い破倒し、再建の資金無く空隙の寺院として歳月を送る事9年、本寺三十四世亮宥、私財を投じて仮本堂を建て寺務法要一切は本寺にて施行していた。
 当時在家出身でたいへん信仰心が深い者がおり、出家得度をし修行を重ね、天台宗大善院の住職の拝命を受け、出身地である東村山にこの寺を移したいという願いで多難な手続きを行い、明治32年には、東村山に同院の名称を移して現在の本堂を建立し、初代に慈善和尚を迎えて当所に於ける開山とする。」(天台宗東京教区 公式サイト > 寺院紹介 > 恵日山 大善院(通称:東村山野口不動尊)より)

正福寺地蔵堂

正福寺山門(市有形文化財)

 正福寺は、臨済宗建長寺末です。

 室町中期(1407年)に建立された正福寺地蔵堂は、「桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、こけら葺、もこし銅板葺」で、1952年3月29日に国宝に指定されました。
 反り返った屋根が美しい、地蔵堂です。
 鎌倉の円覚寺舎利殿とともに禅宗様建築の代表的遺構です。
 堂内に奉納された小地蔵にちなみ、地元では「正福寺千体地蔵堂」と呼ばれています。小地蔵の一部は「東村山ふるさと歴史館」に展示されています。

 詳しくは、下記サイトをご覧ください。
 ・文化遺産オンラインの「正福寺地蔵堂」ページ
 ・東京都教育委員会 東京都文化財めぐり > 北多摩散策コース > 清瀬市,東久留米市,東村山市 の「東村山市散策コース(北多摩を歩いてみませんか)正福寺地蔵堂」

 ちなみに、正福寺 副住職の福原泰明さんは、イギリスの名門楽団「ブラックダイクバンド」で日本人初の正式メンバーとして活動していた打楽器奏者でもあります。本堂の下は打楽器奏者たちのための練習場としても開放され、コンサートも開かれるそうです。参拝しているとき、打楽器の音が聞こえてくるかもしれません。楽しそうです。
 詳しくは、僧侶兼打楽器奏者 福原泰明 をご覧ください。

北山公園

北山公園:ハナショウブ

 新東京百景に選ばれている北山公園では6月初旬、約600種類・8,000株・10万本のハナショウブの花が見頃を迎えます。9月中旬ごろは曼珠沙華マンジュシャゲ、ヒガンバナの花が見られます。

八国山たいけんの里

八国山たいけんの里

 八国山たいけんの里では、平成8 (1996) 年に発見された下宅部遺跡(しもやけべいせき)の資料が展示されています。
 入館無料、開館時間は午前9時30分から午後5時 (入館は午後4時30分まで)、休館日は毎週月曜日・火曜日 (祝日の場合は開館し、次の平日が休館日)、年末年始 (12月29日から1月3日) ですが、臨時休館する場合があるので、八国山たいけんの里のご案内 でご確認ください。

 2020年9月30日、下宅部遺跡からの出土品392点が、「国指定 重要文化財 (考古資料)」に指定されました。

 東村山市トップページ >【たのしむらやま】東村山の楽しみ方 > 歴史・文化を学ぶ > 下宅部遺跡 > 下宅部遺跡の漆文化 重要文化財指定資料の中核 には、下宅部遺跡から出土した漆文化についての詳しい説明があります。
 また、同じ 土器・土製品、石器・石製品、木器・木製品 のページには、出土品の写真が掲載されています。

 下宅部遺跡の「縄文時代後期の漆工関連資料は秀逸で、漆塗弓や漆塗杓子(しゃくし)をはじめとする製品のほか、漆の採集から保管、調合、塗布に使用した土器、漆塗土器、漆により補修された土器、樹液採取時の傷が確認されたウルシ材の杭などが出土しました。」(東京都文化財情報データベース「下宅部遺跡出土品」より)

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