柿生 (かきお) の里と王禅寺を歩く(512)―10km

王禅寺

区間3・区間4の写真は、コチラ をご覧ください。

[区間3]  稲荷森 (とうかもり) 稲荷社を経て、武州柿生琴平神社本殿・子金稲荷神社へ

籠口ノ池公園 出口―人のすれ違いができない狭い下り階段―稲荷森稲荷社―神明社―琴平神社儀式殿―武州柿生琴平神社本殿―子金稲荷神社へ

行き止まりに見えるが、左に下りる階段がある
行き止まりに見えるが、左に下りる階段がある

 竹林を抜けて籠口ノ池公園を出たら、公園を背にして南東方向に進みます。
 この道は一見、正面が竹林で行き止まりに見えますが、行き止まりに見えるところから左へ、細い下り階段がついているので、安心して進んでください。

 けっして、籠口ノ池公園に沿ってまわりこむ道には行かないよう、気をつけてください。

 階段が終わり、住宅のあいだの坂を下り、突き当りを左に曲がると、稲荷森(とうかもり)稲荷社が左にあります。

稲荷森(とうかもり)稲荷社
稲荷森稲荷社
稲荷森稲荷社

 現地の説明(川崎歴史ガイド◎王禅寺ルート)によると、

「稲荷社は王禅寺村の鎮守五社のひとつで、入口谷戸の鎮守である。江戸時代初めに久保倉氏の先祖が、村の安穏と五穀の豊穣を祈願し、京都の伏見稲荷から勧請したものである。」

とのこと。しかし、「稲荷森」とは、何でしょう? 
 稲荷森を「とうかもり」と呼ぶ例は、いくつかあるようです。東京都世田谷区桜丘に所在する稲荷森稲荷神社は「とうかんもり」と言います。
 単純に考えると、伏見稲荷のお稲荷さんを勧請した森だから「稲荷の森」と呼ばれ、それから「稲荷森の稲荷社」になったのではないでしょうか。稲荷社の祭神は倉稲魂命で、五穀・食物を司る神格化された稲の精霊です。

 社殿は道路から標高差20メートルの急な石段を上った森の中にあります。森の木立はよく手入れされ、石段は長い年月、人びとが毎日お祈りに上り下りしたからでしょう、角が丸まり、濡れているとすべってあぶないぐらいでした。

 ふたたび道路に戻り、道なりに坂をくだってすぐ、右にカーブする山側に立派なお屋敷があります。確認を忘れてしまいましたが、京都の伏見稲荷から勧請した久保倉氏のお宅だったかもしれません。
 この先の道路から一段高いところに、神明社がひっそりありました。現地の案内板によると、神明社も王禅寺村の鎮守五社のひとつで、祭神は天照大神・大国主命だとあります。

 神明社のところで道路は鋭角に曲がりますが、カーブのちょうど頂点のところからまっすぐ伸びている小道に入って道なりに進むと、バスが通る広い道路に出ました。

琴平神社儀式殿

 儀式殿は、真っ赤な大きい鳥居が、あでやかです。七五三のお参りの子どもたちもいました。琴平神社の縁起は境内の掲示によると、

 当神社に代々伝わる古文書によると、正徳元 (1711) 年以前に伊勢山の地に神明社があった事が記されています。
 文政9(1826) 年、当村名主志村文之丞によって四国金毘羅宮の祭神をこの地に勧請し、神明社 琴平社の合社が再建された。これが琴平神社の起りです。

 さらに詳しい由緒などは、武州柿生 琴平神社のホームページ をご覧ください。

琴平神社儀式殿
琴平神社儀式殿
武州柿生琴平神社本殿
武州柿生琴平神社本殿

 儀式殿の向かいの丘の上にあって、急な階段をのぼっていきます。
 眺めはいいのですが、シンプルな境内です。
 ちょっと不思議な空間に感じました。

 あとから、2007 (平成19) 年に木造の拝殿と本殿計約140平方メートルが放火によって全焼したことを知って、腑に落ちました。
 拝殿天井には、渡辺崋山筆と伝えられる花鳥山水を描いた板絵63点がありましたが、これも焼失したそうです。
 幸い、御神体を祀る本殿は蔵造りであったため御神体・御神宝は守られたとのこと。
 新社殿は、2011年に完成しました。

[区間4]  星宿山王禅寺から、王禅寺ふるさと公園へ

金子稲荷神社―王禅寺東門―星宿山王禅寺―禅寺丸柿原木―観音堂―山門―王禅寺ふるさと公園 入口―王禅寺ふるさと公園中央四阿―王禅寺ふるさと公園 出口

金子稲荷神社

 琴平神社本殿に向かって右手に、赤い祠が見えます。金子稲荷神社には、駐車場の出入り口からいったん道路に出て、反対側の階段を上ります。
 祠の前に碑があって、私は読まなかったのですが、このようなことが書いてあるようです。
 ――昔、先祖に耳の不自由な者がいて、特に稲荷への信仰厚く加護を受けていて、世を去ってからも多くの人が参詣に訪れるようになり、金子一族も代々安全と繁栄を祈ってきた。神社訪問記ホーム > 金子稲荷神社(神奈川県川崎市麻生区王禅寺) より)

 稲荷神社に沿って坂を上っていくと左側に、トイレもある原っぱがあります。ここは王禅寺ふるさと公園の北の端になります。さらに坂を上り、ちょうど下り坂にさしかかる左に、土の道が2本あります。犬を連れた人、散歩をしている地元の方らしき人が出てきます。2本の道のうち右は王禅寺ふるさと公園の東側境界の外側に沿った道、左は王禅寺ふるさと公園に入る道です。
 王禅寺を参詣したあとでここに戻ってくることにして、いまは左の道には入らず、坂をおりていくと左に、「星宿山」「王禅寺」と刻まれた石柱が左右に建っています。王禅寺東門のようです。

星宿山王禅寺
王禅寺
王禅寺

 緑がいっぱいの参道を進みます。途中で参道は二股に分かれますが、右の道をたどって進むと、建物が見えてきました。

 ここが王禅寺の中心のようです。
 星宿山王禅寺は、延喜21(921)年に高野山三世無空上人が開山した真言宗豊山派の寺で、「関東の高野山」と呼ばれていました。最盛期には、真言密教を修行する七堂伽藍を持つ学問寺で、一時期は、鎌倉八幡宮と八幡宮寺の別当寺でした。徳川幕府の歴代将軍の位牌を奉り、将軍家より葵の御紋の使用を与えられた寺です。周辺の地名「王禅寺」は、もちろんこの寺院の名前からできています。
 予備知識をもたず、歴史のある寺院だから多くの建物があることを想像していましたが、鬱蒼とした森のなかに佇む静謐な空気が流れるお寺です。

禅寺丸柿原木
王禅寺
王禅寺 禅寺丸柿原木

 本堂の前には、2007年に国指定登録記念物となった「禅寺丸柿の原木」があります。樹齢450年と伝えられている原木は、訪問したとき、葉がほとんど落ち、残った葉も赤くなっていましたが、枝の先に1個だけ実をつけていました。
 川崎・麻生観光協会ホームページ「あそうの観光」の「禅寺丸柿」に、この柿にまつわる様々なエピソードが載っています。

 西門からは王禅寺ふるさと公園に直接入れます(歩く距離を短縮したい方は、このルートを通ってください)が、王禅寺ふるさと公園も全部まわってみたいと思ったので、山門を通って東門から出て、出て先ほど通過した2本の脇道があるところに戻ります。

王禅寺ふるさと公園
王禅寺ふるさと公園
王禅寺ふるさと公園

 南北500メートル強、東西300メートル強ある広い公園です。森や芝生広場、人工のせせらぎ、遊具があり、親子がのんびり遊んでいます。
 王禅寺西門からは見晴らし広場に入り、そのまま芝生の多目的広場を横断して中央の四阿をめざしましょう。ここには、トイレがあります。
 いったん王禅寺東門から外に出てきた道を少し戻り、わき道から入った場合は、紅葉する木もある森の中を通って四阿をめざしましょう。
 時間の余裕があれば、ここで少しのんびりして、疲れをいやしてもいいでしょう。

 公園出口は、四阿から流れに沿って下った池のところです。ここからは、柿生駅に向かって進みます。
 疲れた方は、「梨木団地入口」バス停から柿生駅へ戻ることができます

 

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