多磨全生園の歴史を考えるウォーキング:西武池袋線・清瀬駅~秋津駅 (510)―6 km

コースの特徴

  • 平坦で歩きやすい6kmのウォーキングコース(清瀬市、東村山市)です。
  • 昭和のはじめまで、清瀬駅の南側は雑木林が広がっていました。1931 (昭和6) 年、東京府立清瀬病院をはじめ、結核の治療・療養を行う病院が出来、清瀬は「病院の街」とも言われるようになりました。いまでも閑静な地域です。松山緑地保全地域となっている雑木林は、鳥たちの楽園になっています。
  • 1909 (明治42) 年に開設された国立のハンセン病療養所「多磨全生園 (たまぜんしょうえん)」の広大な敷地を歩き、歴史的な跡をたずねます。ここは「入所者のみなさんが、仲間と共に生きてきた過去の記憶を刻み込み、現在のくらしを営み、自分たちがいなくなった後の将来への望みを込めている場所」で、ハンセン病記念公園「人権の森」が構想されています。園内の梅林さくら公園菜の花畑などでは、きれいな花が咲いています。
  • 隣接している国立ハンセン病資料館では、ハンセン病に対する正しい理解、長年にわたるハンセン病患者に対するいわれなき差別・人権侵害と、2001年熊本地裁判決を契機に国がハンセン病患者・元患者の方々に謝罪し、名誉回復、社会復帰支援策をとるに至った歴史などを学ぶことができます。
  • 秋津駅への途中、太平洋戦争末期にこの地で撃墜され戦死したB29爆撃機乗員を弔った平和観音像に寄ります。

コースの概要

(01)西武池袋線清瀬駅南口―(02)南口ふれあいど~り終点―(03)清瀬高校角―[(04)松山緑地保全地域 東口―(05)分かれ道―(06)松山緑地保全地域―(07)松山緑地保全地域 西口]―(08)日本BCG研究所―(09)東京病院駐車場―[(10)国立ハンセン病資料館―(11)最初の火葬場跡―(12)納骨堂―(13)尊厳回復の碑―(14)森林浴歩道入口―(15)村上梅林―(16)全生園 南口―(17)望郷台―(18)真宗会館―(19)山吹舎―(20)全生大師堂―(21)全生学園の跡の碑―(22)旧図書館―(23)開所当初の墓地跡―(24)成田庭苑―(25)永代神社―(26)桜並木―(27)さくら公園―(28)全生園 北口]―(29)石橋供養塔―(30)曙橋―白子川―(31)大沼田橋―(32)野菜直販所―(33)平和観音像―(34)西武池袋線秋津駅南口(JR武蔵野線秋津駅

コースの地図

コースの区間距離

通過ポイント 区間距離 累計距離
西武池袋線・清瀬駅⇒南口ふれあいど~り終点 へのルート 421m 421m
南口ふれあいど~り終点⇒松山緑地保全地域東口 へのルート 266m 687m
松山緑地保全地域東口⇒松山緑地保全地域西口 へのルート 322m 1,009m
松山緑地保全地域西口⇒国立ハンセン病資料館入口 へのルート 1,240m 2,249m
国立ハンセン病資料館入口⇒成田庭苑 へのルート 1,120m 3,369m
成田庭苑⇒さくら公園 へのルート 660m 4,029m
さくら公園⇒全生園北口 へのルート 347m 4,376m
全生園北口⇒平和観音像 へのルート 807m 5,183m
平和観音像⇒西武池袋線・秋津駅 へのルート 590m 5,773m

コース説明

[はじめに]  スタディ・ウォーキング

病気を知られず、迫害から家族を守るためには、遍路にならざるを得なかった。

本サイトで紹介している他のコースと比べて、今回はちょっとちがった、いわば「国内版スタディツアー (学ぶことを目的にしたツアー)」とでもいえるウォーキングコースです。
私どもが例会を運営してきた趣旨のひとつとして「ふだん歩く機会の少ない人びとが、歩くことを通じて、 ……新たな見聞発見の喜び……を感じながら、健康で豊かな生活を形成するきっかけつくりをめざす。」があります。そういう意味では、多かれ少なかれ紹介しているコースはスタディツアーの要素がはいっていますが、今回は、いつもよりその意味合いが強いコースです。

スタディーの対象は、「ハンセン病」です。
松本清張『砂の器』を読んだり、脚本:橋本忍、山田洋次/監督:野村芳太郎による同名の映画をご覧になったりされた方も多いことと思います。私はここで、ハンセン病に対する迫害を知りました。

人類の歴史上もっとも古くから知られ、恐れられてきた病気の一つであるハンセン病は、らい菌(Mycobacterium leprae)が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症ですが、治療法が確立された現代では完治する病気です。1873年にらい菌を発見したノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師の名前をとり、ハンセン病と呼ばれるようになりました。

日本財団HOME > 支援活動について > 活動内容 > ハンセン病〜病気と差別をなくすために〜 > ハンセン病とは より

日本でハンセン病患者は、1907年から1996年まで、明治・大正・昭和・平成時代の90年にわたり国による強制隔離政策の対象とされてきました。

ハンセン病の感染力・発病力は極めて弱くそのことは最初に法律を制定した1907年(明治40年)当時から判っていたことです。当時の帝国議会貴族院での政府委員の答弁でもそのことを認めています。
90年にわたる患者隔離政策において、療養所の職員の中から一人のハンセン病患者も出ていないことからも、感染力・発病力が弱いことがわかります。衛生状態の改善により発生率も大幅に低下します。
ですから、すべての患者・感染者を一生にわたって隔離する必要性など全くありませんでした

ハンセン病国賠弁護団ホーム > 人権侵害とその歴史

多磨全生園は、全国に13施設ある国立ハンセン病療養所の1つです。
1907 (明治40) 年に制定された「癩予防ニ関スル件に基づき、1909年9月28日に、公立療養所第一区府県立全生病院として発足しました。
1931 (昭和6) 年には「癩予防法」(旧法)が施行され、 全生病院は1941年に当時の厚生省に移管され、国立療養所多磨全生園と改称され、2019 (令和元) 年には創立110周年を迎えました。

ハンセン病の患者さんは、これまで、いわれのない偏見と差別の中で多大な苦痛と苦難を強いられてきました。我が国においては、1953(昭和28)年制定の「らい予防法」(新法)においても引き続きハンセン病の患者さんに対する隔離政策がとられ、ようやくらい予防法の廃止に関する法律」が公布、施行されたのは1996(平成8)年でした。

 その後、2001(平成13)年には、ハンセン病国家賠償訴訟に関する熊本地方裁判所の判決を契機として、ハンセン病療養所入所者等の精神的苦痛を慰謝するとともに、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて、死没者に対する追悼の意を表すため、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が公布、施行されました。また、ハンセン病の患者であった方々等の福祉の増進、名誉の回復等のための措置を講ずることにより、ハンセン病問題の解決の促進を図るため、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が、2009(平成21)年に施行されました。さらに、ハンセン病元患者家族がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝するとともに、ハンセン病元患者家族等の名誉の回復及び福祉の増進を図るため、「ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給等に関する法律」が2019(令和元)年に施行されました。引き続き、ハンセン病の患者であった方々やその家族などに対する偏見と差別のない社会の実現に向けた取り組みが求められています。

 当園では、入所者等のハンセン病後遺症、合併症、及び高齢化に伴う心身の不調などに対応して診療等が行われています。
 また、当園に隣接して国立ハンセン病資料館があり、ハンセン病に関する知識の普及や理解の促進などに努めています。機会がありましたら足を運んで下さい。

国立療養所多磨全生園園長  正木尚彦 ( 国立療養所多磨全生園ホーム > ご挨拶 より)

2020年3月23日の新聞に掲載された厚生労働省の「広告」

多磨全生園では、望郷の念にかられながら故郷の山河、家族への思いを託して、昭和23(1948)年から緑化委員会を組織し、植樹活動を行ってきました。戦後、自然解消していた緑化委員会でしたが、昭和46(1971)年に再度設置し、ふるさとの森造り計画(昭和58(1983)年)を立て、一人一木運動や県木の森など、様々な緑化活動を行ってきました。252種、3万本もの園内の緑、そのほとんどは入所者の方々が「将来、自分たちがいなくなった時も、自分たちを受け入れてくれたこの緑の地を東村山の市民に残そう」との思いを込めて植え、育ててきたものであり、これらの木々の成長は、多磨全生園の110年余の歴史と重なり合っています。
入所者自治会は、このハンセン病の歴史・人権の歴史とともにある豊かな緑ハンセン病資料館共同生活を営んできた寮や館、神社、納骨堂などの歴史的価値を持つ建造物や史跡、これらすべてをハンセン病記念公園「人権の森」として保全・保存し、後世に伝えようと、平成14(2002)年、「人権の森」構想を立ち上げました。
これを療養所の将来構想として、国へ要請し、東村山市とともにこの構想の実現に向けた活動をしています。

東村山市「人権の森」構想

 この「人権の森」構想にある歴史的価値を持つ建造物や史蹟、ハンセン病資料館を見学しながら、季節によっては梅林やサクラの花を眺めながら、多磨全生園の園内を歩きます。

[雑木林]  松山緑地保全地域をあるく

西武池袋線・清瀬駅南口を降り、いちばんにぎやかな商店街を抜け、松山緑地保全地域の雑木林を歩きます。
東京都環境局の「清瀬松山緑地保全地域」についての説明によると、ここはもとの結核研究所があった地域ということです。南側部分はアカマツを主体とした雑木林で、南西部分にはニセアカシアの若齢林、中央部から北側、東側の部分では、草地と、サワラやプラタナスの並木等の植栽された旧病棟間通路跡があるほか、多くの立木が散在しています。実際に歩いてみると、伸び伸びと育った木々のあいだから、小鳥たちの鳴き声が聞こえてきて、バードウォッチングの人たちや散歩する人たちに出会いました。夏から秋にかけて、ハチなどがいるかもしれないので、現地の注意書きに気をつけてください。(2020年3月22日に訪問しました)

西武新宿線・清瀬駅南口
南口商店街を突き当りまで歩く。
都立清瀬高校の手前を左折して細い道をすすむと、松山緑地保全地域の入口がある。
松山緑地保全地域の南出口

松山緑地保全地域を抜け、日本ビーシージー製造株式会社の先を左折し、救世軍清瀬病院や東京病院などの病院が並ぶ「病院街通り」をすすむと、国立ハンセン病資料館と多磨全生園があります。

日本ビーシージー製造株式会社。大きな工場です。
救世軍清瀬病院。
広大な敷地のある独立行政法人 国立病院機構 東京病院。関係者以外立ち入り禁止の掲示があります。
病院街通り
左の建物がハンセン病資料館。桜並木は、多磨全生園の園内。

[過去・現在・未来]  多磨全生園の歴史を学ぶ

敷地に入ると、正面に国立ハンセン病資料館の2階建ての建物が見えます。ここにはハンセン病についての資料・説明や、多磨全生園についての説明などが展示されています。国立ハンセン病資料館のホームページをご覧ください。
 開館時間 午前9:30~午後4:30 (入館は午後4:00まで)
 入 館 料 無料
 休 館 日 月曜および「国民の祝日」の翌日。ただし、月曜が祝日の場合は開館。年末年始。館内整理日。
まず、ここを見学してから多磨全生園の園内を見てまわることをおすすめします。
ここで紹介する園内史蹟めぐりコースの距離は、約2kmです。サクラの時期は、花見も楽しめます。

園内に掲示されているマップ(ホームページ掲載のマップ
多磨全生園 北口

[戦争]  平和観音像の物語

多磨全生園の北口を出てまっすぐ歩いていくと、空堀川に出ます。この川は、文字通り、流れが見えず、空っぽでした。しかし、大雨が降ると、川いっぱいの流れになるようです。川には、曙橋が架かっています。橋のたもとのお店の前には公衆電話と並んで、石橋供養塔が建っていましたが、この塔のいわれは分かりません。空堀川は東に下って西武池袋線の線路をくぐるあたりから流れが見えはじめ、カタクリの咲く雑木林があります (水と緑の柳瀬川回廊:秋津駅~清瀬駅(084) -12km)。
今回はそこまで足を延ばさず、ひとつ下流の大沼田橋から、両側に畑を見ながら北に向かいます。志木街道をわたった左側に、「平和観音像」が建っています。
ここから秋津駅へ行くのは複雑に見えますが、北に向かえば、JR武蔵野線・秋津駅と西武池袋線・秋津駅のあいだをひっきりなしに往来している人の流れにぶつかります。

空堀川に架かる曙橋
空堀川は、からっぽだった。
大沼田橋で、空堀川を渡る。
みちの両側に畑がひろがっている。
志木街道を越えると、平和観音像が建っている。
畑が残るあいだの道を行くと、もう西武池袋線・秋津駅がちかい。
正面が、西武池袋線・秋津駅南口

参考資料集

ハンセン病

厚生労働省が、ハンセン病に関するさまざま問題―― | 医学から見るハンセン病|歴史から学ぶハンセン病|ハンセン病に関する主な出来事| |ハンセン病患者・元患者の人権回復|わたしたちにできること|――を、「わたしたちにできること~ハンセン病を知り、差別や偏見をなくそう~」 として、わかりやすく解説しています。
 ⇒ 厚生省ホーム > 政策について > 分野別の政策一覧 > 健康・医療 > 健康 > ハンセン病に関する情報ページ > 中学生向けパンフレット「ハンセン病の向こう側」
 ⇒ 同「ハンセン病の向こう側」:指導用(平成20年度から)「ハンセン病問題を正しく伝えるために」

 

 

国の責任を追及し、またハンセン病に対して根強く残る偏見差別を取り除くため、訴訟を提起したハンセン病元患者さん達の弁護活動を行うハンセン病国賠弁護団ホームページ には、
 *<ハンセン病という病気>
 *<90年にわたり国の強制隔離・患者撲滅政策の対象とされて「人間」として享受すべき人権を根こそぎ奪われてきたハンセン病患者・元患者さん達が受けてきた人権侵害の歴史>
について、やさしく、詳しい説明が載っています。

ンセン病に関するやさしい解説、ハンセン病について医療面での制圧、差別等の社会的問題解決のために活動している日本財団の取り組みが掲載されています。
 ⇒ 日本財団HOME > 支援活動について > 活動内容 > ハンセン病〜病気と差別をなくすために〜
日本財団が運営している「 ハンセン病制圧活動サイト (Global Campaign for Leprosy Elimination)」は、世界のハンセン病、日本のハンセン病について 紹介しています。
 ⇒ Leprosy.jp

団法人日弁連法務研究財団ハンセン病問題に関する検証会議が国から受託されて2005年3月に提出した「ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書」は、ハンセン病に関する包括的な報告書です。
 ⇒ 厚生省ホーム > 政策について > 分野別の政策一覧 > 健康・医療 > 健康 > 感染症情報 > ハンセン病に関する情報ページ > ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書 > ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書

ンセン病の全体像については、元国立感染症研究所室長の加藤茂孝さんによる、古代からのハンセン病の歴史、治療可能になってからも日本では1946-96年の長きにわたって隔離が継続された原因、患者数、「らい文学」、エピソードなどが書かれたエッセーが参考になります。
 ⇒ 「ハンセン病―苦難の歴史を背負って」(『モダンメディア』60巻11号2014年)

多磨全生園

磨全生園の公式ホームページは、
 ⇒ 国立療養所多磨全生園
です。
多磨全生園では「入所者等のハンセン病後遺症、合併症、及び高齢化に伴う心身の不調などに対応して診療等が行われています。」

患者・平沢保冶さん(多磨全生園入所者自治会会長)の対談、園の写真が、ハンセン病制圧活動サイト(Global Campaign for Leprosy Elimination)に掲載されています。
 ⇒ Leprosy.jp HOME > 日本のハンセン病 > 日本のハンセン病療養所・資料館 > 国立療養所 多磨全生園


内を歩かれる際には、
 国立ハンセン病資料館ホーム >来館案内 > 多磨全生園マップ
に掲載されている「「全生園の人権の森と史蹟めぐり」の案内」をご覧ください。

国立ハンセン病資料館

ンセン病資料館の歴史、常設展示および企画展示、イベントなどが、公式ホームページ
 ⇒ 国立ハンセン病資料館
に掲載されています。

平和記念像

平和観音像について、中央大学FLPジャーナリズムプログラム・松野良一ゼミの学生が取材・制作し、2017年2月に配信した番組(10分間)があります。「鬼畜米兵」と言われた時代に、撃墜されたB29爆撃機搭乗アメリカ兵11名の遺体を花見堂墓地(共同墓地)に埋葬し、1960年に平和観音像を建てた小俣権次郎さんの想いが、戦争時の映像や関係者のインタビューなどを交え、映像で浮き彫りにされています。
 ⇒ 多摩探検隊 ― 中央大学の学生が制作する地域再発見番組!ホーム>番組一覧>平和観音像に刻まれた遺志 ~東村山に墜ちたB29~

平和観音像が建てられた経緯を説明しています。
 ⇒ 東京非核政府の会 > 私の町の戦争跡 > 東村山市 平和観音像



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