雑司が谷七福神コース(088-2) -5km

茗荷谷を出発し、護国寺、「副都心」池袋に近い雑司が谷・南池袋にかけての江戸情緒ゆたかな一帯をあるきます。
本コースは、JR中央・総武線各駅停車・水道橋駅~JR山手線・池袋駅の約11キロメートルを歩く「小石川七福神+雑司が谷七福神 (088)」コースの後半部分です。東京メトロ丸の内線・茗荷谷駅(教育の森公園)からJR山手線・池袋駅までの5キロメートル弱を歩く、この後半部分だけでも、変化に富んだじゅうぶん楽しめるコースです。
雑司が谷七福神は、「雑司ヶ谷の町おこしのために南池袋1丁目町会長の渡辺隆男氏が2010年『雑司が谷七福神の会』を結成したことにはじまり、2011年初詣より『七福神巡り』がスタート」した、新しい七福神です。
「雑司が谷七福神コース」は、徳川綱吉の母・桂昌院の発願で創建された護国寺に寄ります。 雑司が谷鬼子母神から池袋駅東口方面へ歩いていくと、副都心・池袋至近なのに、江戸の街を色濃く残した一帯があります 。七福神めぐりの正月以外の時期でも、のんびり江戸の街歩きを楽しんでみませんか。
[コース紹介] 東京メトロ丸の内線・茗荷谷駅―教育の森公園(占春園/文京スポーツセンター)-護国寺(惣門、富士浅間神社、大師堂、薬師堂)-吉祥天(清土鬼子母神)-雑司が谷旧宣教師館-毘沙門天(御嶽山清立院)-恵比寿神(大鳥神社)-大黒天(鬼子母神堂)-弁財天(観静院)-威光稲荷堂-布袋尊-福禄寿(仙行寺)-JR山手線・池袋駅東口
コース全体をご覧になる方は ⇒ 「小石川七福神+雑司ヶ谷七福神 (088)」
コース前半部分をご覧になる方は ⇒「小石川七福神 (088-1)」
写真は ⇒「088-小石川七福神+雑司ヶ谷七福神」
コース地図をご覧ください。
ポイント | 区間距離 | 累計距離 |
文京スポーツセンター | ||
護国寺 | 1,330m | 1,330m |
吉祥天(清土鬼子母神) | 596m | 1,926m |
雑司が谷旧宣教師館 | 497m | 2,423m |
毘沙門天(御嶽山清立院) | 340m | 2,763m |
恵比寿神(大鳥神社) | 301m | 3,064m |
大黒天(鬼子母神堂) | 249m | 3,313m |
弁財天(観静院) | 183m | 3,496m |
威光稲荷堂 | 316m | 3,812m |
布袋尊 | 248m | 4,060m |
福禄寿(仙行寺) | 174m | 4,234m |
池袋駅東口 | 375m | 4,609m |
コースポイントの説明
雑司が谷七福神の各七福神については、 豊島区観光協会 >> 観光ガイド >> 観光注目情報 >> 雑司が谷七福神巡り をご覧ください。
教育の森公園
旧東京教育大学(現在の筑波大学)の跡地に、昭和61年に開園。隣接して、斜面地を利用した自然豊かな占春園、文京スポーツセンターがあります。
護国寺
徳川綱吉の母・桂昌院が願いを起こして天和元(1681)年に創建された真言宗豊山派の寺です。江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所で、重要文化財の本堂、滋賀の三井寺から移築された書院を持つ月光殿など、多くの文化財があります。また、大隈重信、團伊玖磨、中村天風、梶原一騎、大山倍達ら多くの著名人の墓所があります。詳しくは、大本山 護国寺 をご覧ください。
護国寺は五代将軍徳川綱吉の祈願寺でもあったために、徳川家が倒れたあとは経営が苦しく、境内地の東側半分2万5,000坪は皇族の墓地(豊島岡墓地)となりました。しかし大正から昭和初期にかけて、実業家であり茶人だった檀家総代の高橋義雄(箒庵(そうあん))が、月光殿や5つの茶室を他所から移築するなど境内を整備しました。箒庵は、護国寺を茶道の総本山にしようと考えていたそうです。
清土出現所(清土鬼子母神)
雑司ヶ谷鬼子母神堂に祀られている鬼子母神尊像は、清土のこの地から出土したとのことで、ここから「清土出現所」という名称が付けられましたが、地元では親しみをこめて「清土鬼子母神」と呼んでいます。吉祥天は、この鬼子母神の娘神です。(寿老人の代替)
雑司が谷旧宣教師館
雑司が谷旧宣教師館は、明治40(1907)年にアメリカ人宣教師のマッケーレブが居宅として建て、太平洋戦争開戦直前の昭和16年(1941)に帰国するまでの34年間、宣教活動を続けました。
建物は、豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築であり、東京都内でも数少ない明治期の宣教師館としてたいへん貴重とのことです。詳しくは、豊島区ホーム > 文化・観光・スポーツ > 文化 > 郷土資料館 > 雑司が谷旧宣教師館 > 雑司が谷旧宣教師館の概要・沿革 をご覧ください。
雑司ヶ谷霊園
明治7(1874)年に開園した、雑木林のような環境の東京都立霊園で、園内にはケヤキの古木が多く、銀杏の高木も多数あって、秋にはきれいな黄葉を見ることができます。ジョン万次郎、小泉八雲、夏目漱石、など著名人の墓が多くあります。豊島区 > 文化・観光・スポーツ > 観光 > 刊行物・観光 > 雑司ヶ谷霊園MAP に、詳しく載っています。
清立院
日蓮宗の寺院。境内に雨乞いの松があり、日照りのたびに人々が集まり、緑を潤す雨を願い雑司ヶ谷に雨を恵むと言われていました。毘沙門天を祀っています。
大鳥神社
大鳥神社は、もともとは鷺明神という名称で正徳2(1712)年に鬼子母神境内に祀られました。当時、千登世橋近くにあった出雲藩下屋敷で、藩主松平公の嫡男が疱瘡にかかったとき、鷺明神に祈ったところ治癒したので、厄病除けの神として尊崇されていました。明治維新後、神仏分離令に従って、現在地に移りました。恵比寿神を安置しています。
雑司が谷鬼子母神堂
鬼子母神(きしもじん)のご尊像は室町時代の永禄4(1561)年、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)で掘り出し、星の井(清土鬼子母神)付近でお像を清め、東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものだそうです。鬼子母神堂は、入谷鬼子母神真源寺、中山法華経寺とともに江戸三大鬼子母神として多くの崇敬を集めました。大黒天が祀られています。詳しくは、鬼子母神へようこそ をご覧ください。毎年10月17・18日に、御会式大祭が催されます。日蓮宗のホームページ 寺院めぐり > のんびり行こう ぶらりお寺たび > Vol.16 東京 幻想的な万灯が練る東京三大御会式 および豊島区観光協会のホームページ 区内のイベント >> おもなイベント >> 鬼子母神御会式 に詳しい紹介があります。
観静院
「元禄初期に法明寺塔頭(たっちゅう;末寺)として創立、江戸時代には池袋御嶽神社の別当寺(神仏習合が行われていた時代、神社を管理していた寺)を務めていました。雑司が谷七福神の弁財天です。」 (猫の足あと > 豊島区の寺社 > 豊島区の寺院 > 観静院 より)
威光山法明寺・威光稲荷尊天
威光山法明寺は、嵯峨天皇の代の弘仁元(810)年、真言宗の旧跡で威光寺として開創され、後の正和元(1312)年、日蓮宗に改宗して威光山法明寺と寺号を改めました。徳川三代将軍家光公より御朱印を受け、代々将軍家の尊崇を受け、折りごとに多くの寄進を受けてきました。末寺が往時は14寺ありましたが、現在は法明寺を取り囲む真乗院、蓮光院、玄静院、観静院と、大鳥神社の脇にある本納寺です。威光山法明寺のホームページは コチラ です。
法明寺の裏手、細いクランク状の参道を赤い鳥居に導かれて進むと、威光山総鎮守である開運威光稲荷尊天があります。由緒によると、西暦八百余年、慈覚大師がこの地を行脚(あんぎゃ)していると、雑司ヶ谷の森から一条の明かりが光っているのを見つけました。その場所にたどりついたところ、素晴らしいお姿をした稲荷尊神が現れ、その光明があまりに強かったので「威光稲荷大明神」と名づけてお堂を建て、安置したのが始まりです。その後、数百年を経て、法明寺が日蓮宗に改宗されると同時に法華経の御題目「妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」が唱えられ、その御威光ますます輝き、以来今日まで大願をかけて救われた善男善女数しれないとのことです。
中野ビル 布袋尊像
大坂城の石材供給地である小豆島の出身で、皇居二重橋や国会議事堂等の石造建築を手がけた中野石材商店7代目が、大正6(1917)年、布袋尊親子像を建立し、8代当主が、昭和62(1987)年中野ビル落成の際、ビルの前に布袋尊像を安置したそうです。
仙行寺
「2018年8月25日(土)、日蓮宗寺院 松栄山 仙行寺 沙羅浄苑(しょうえいざん せんぎょうじ さらじょうえん)の本堂が新しく」完成しました。「空中浮遊する?!「池袋大仏」開帳!仙行寺 沙羅浄苑」(ココシル池袋2018-08-24)。福禄寿を安置しています。なお、1968年、仙行寺は宗教法人の社会事業の一つとして、若手演劇人に実験活動・自作自演の前衛環境を提供することを目的に、演劇活動の場を提供しました。都内に現存する最古参の小劇場「シアターグリーン」です。