巡礼古道と切通の鎌倉ハイク(062)-9km

自然を満喫し、中世の鎌倉にタイムスリップ。

コースの特徴

日蓮が時の政治・宗教のあるべき姿を最高権力者に提示し、鎌倉幕府や諸宗を批判する『立正安国論』を執筆した岩屋。
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝から87年間の歴史を編纂した『吾妻鏡』にも登場する交通の要路・名越切通 (なごえきりどおし)
鎌倉幕府時代に成立し、いまも庚申塔などが点在する板東三十三観音札所を巡礼する巡礼古道
…………
中世の鎌倉をたどる約9キロメートルのコースです。
晴れていれば富士山を望める絶景ポイントがあり、シーズンによってはサクラカイドウの花が咲き、新緑カエデイチョウの紅葉が見事な彩りを見せてくれます。
コース全体で高低差は100メートルあり、急な階段や坂がある山道も歩くので、ハイキング向きの靴でお出かけになられることをおすすめします。

コース概要

鎌倉駅―本覚寺―妙本寺―常栄寺―鎌倉大町 八雲神社―安養院―安国論寺―日蓮乞水―名越切通 (大町口―第3切通―まんだら堂やぐら群―第2切通―第1切通―第3切通)―石廟―お猿畠の大切岸―パノラマ台―水道山展望台―鎌倉市 子ども自然ふれあいの森―関東の富士見百景―巡礼古道 (浄明寺方面口―ハイランド方面口―金剛窟地蔵尊―報国寺方面口)―旧華頂宮邸報国寺 (竹の寺)―上杉朝宗・氏憲邸阯碑―文覚上人屋敷址―田楽辻子のみち・大御堂橋方面口―岐れ路 (庚申供養塔)―畠山重忠邸趾―鶴岡八幡宮 白旗神社―柳原神池―鶴岡八幡宮 舞殿

コースの写真

コースの写真はコチラをクリック ⇒ 062-巡礼古道と切通の鎌倉ハイク

コース地図をご覧ください。*地図上部の帯状メニューバーのいちばん右、途切れた正方形をクリックすると、大きな地図が開きます。

コース距離です。(   ) の数字は、コース地図の番号に対応しています。*[   ] の数字標高を示しています。

ポイント区間距離累計距離
(01) JR鎌倉駅[6.3m]  
(02) 本覚寺[6.5m]312m312m
(03) 妙本寺祖師堂[24.8m]467m779m
(05) 八雲神社[11.2m]552m1,331m
(07) 安養院山門[9.8m]285m1,616m
(08) 安国論寺[14.9m]443m2,059m
((08)安国論寺境内一周)[45.3m]393m2,452m
(11) 名越切通・大町口[35.2m]708m3,160m
(15) 名越切通第一切通[77.6m]469m3,629m
(17) お猿畠の大切岸入口[74.0m]594m4,223m
(18) パノラマ台分岐[90.4m]260m4,483m
((19)パノラマ台[108.5m]往復)162m4,645m
パノラマ台分岐⇒(20)水道山展望台分岐[89.1m]55m4,700m
((21)水道山展望台[110.5m]往復)396m5,096m
水道山展望台分岐⇒(22)子ども自然ふれあいの森[81.6m]53m5,149m
(27)巡礼古道・報国寺方面口[21.5m]1,430m6,579m
((28)旧華頂宮邸[24.3m]往復)166m6,745m
((28)旧華頂宮邸庭園一周)212m6,957m
巡礼古道・報国寺方面口⇒(29)報国寺[20.4m]136m7,093m
((29)報国寺境内一周)158m7,251m
報国寺⇒(33)庚申供養塔(岐れ路)[11.8m]1,000m8,251m
(37)鎌倉八幡宮[12.0m]630m8,881m

コースの説明 (   ) の数字は、コース地図の番号に対応しています。

(02本覚寺

現在の山門がある場所の前には、1274(文永11)年に佐渡配流から帰った日蓮が一時滞在し、辻説法などの拠点としていた夷(えびす)堂がありました。山門の前を流れる川にかかる「夷堂橋」に、その名が残っています。1436(永享8)年に日出(にっしゅつ)上人が、日蓮ゆかりの夷堂を日蓮宗の本覚寺として創建しました。
本覚寺は「東身延」とも呼ばれています。それは、1462年(寛正3年)身延山久遠寺11世法主となった宗門中興の祖・日朝上人が、身延山への参詣が困難な人びとのために、日蓮の遺骨を分骨して本覚寺に納めたからです。由緒寺院です。

(03) 妙本寺

日蓮宗 霊跡本山 比企谷(ひきがやつ)妙本寺は、「日蓮聖人を開山に仰ぐ、日蓮宗最古の寺院です。開基は、比企能員の末子で、順徳天皇に仕えた儒学者比企大学三郎能本です」。「妙本寺と池上本門寺は一人の貫首が両山を統括する(両山一首)という方式が第74世 酒井日慎聖人の代まで(昭和16年まで)続きました」。(妙本寺ホーム > 妙本寺由来 より)
春のサクラカイドウに続き、境内は溢れんばかりの新緑に包まれ、初夏には蛍が舞い、晩秋にはカエデイチョウの紅葉が彩りを添えてくれます。

(04) 常栄寺

日蓮宗の寺院。鎌倉時代からあった草庵を1606(慶長11)年に日祐尼が開基し、日詔上人が開山しました。「ぼたもち寺(牡丹餅寺)」としても知られていて、こんな伝承があります。
『立正安国論』を著して鎌倉幕府に呈上し、幕府や浄土宗などの諸宗を批判して捕らえられた日蓮は、龍ノ口刑場で斬首されそうになりました(「龍ノ口法難」1271(文永8)年)が、ここを守護していた日蓮宗の尼僧が、刑場(現・龍口寺)に曳かれていく日蓮に胡麻ぼたもちを捧げました。この後に日蓮は刑を免れたことから「御首継ぎに胡麻の餅」として有名になったそうです。法難のあった9月12日には、胡麻ぼたもちが振る舞われ、境内はにぎわいます。

(05) 八雲神社

鎌倉最古の「厄除開運」の社といわれ、地元では「八雲さん」「お天王さん」と呼ばれ親しまれています。鎌倉で疫病が流行し、多くの人々が苦しむ様子をみた源義光が京都祇園社の祭神をここに勧請したのが始まりと伝えられています。源義光は平安時代後期の武将で、新羅明神(大津三井寺新羅善神堂)で元服したことから新羅三郎(しんらさぶろう)と称しました。境内にある御神木の根元には、「新羅三郎 手玉石」が置かれています。また、八雲神社から東勝寺跡に通じる「祇園山ハイキングコース」の登り口があります。

(08) 安国論寺

妙法華山安国論寺は、日蓮聖人松葉ヶ谷(まつばがやつ)御小庵の霊跡です。御小庵の元となった岩窟(「御法窟」または「日蓮岩屋」という)が本堂の向かいにあります。この御法窟で1260(文応元)年7月16日、前執権北条時頼に建白した『立正安国論』が執筆されました。翌月、『立正安国論』に反感をもつ人々に庵が襲われました。これは「松葉ヶ谷の法難」といわれています。本堂の裏山に、日蓮が一時避難した「南面窟」があります。(本堂の裏山は巡礼路となっていて眺望が開ける富士見台もありますが、標高差が30メートルある山道で、勾配の急な階段があります。)
境内は四季折々の花や紅葉で彩られています。なかでも御小庵の傍らの山桜は、日蓮聖人の桜の杖が根づいたといわれ、「妙法桜」と呼ばれています。サザンカカイドウとともに鎌倉市の天然記念物に指定されています。(案内板より)拝観料は100円です。

(11)~(15) 名越切通 (なごえきりとおし)

鎌倉から相模湾沿いに三浦半島を結ぶ交通路で、『吾妻鏡』天福元(1233)年八月十八日条に「名越坂」として初めて登場し、明治時代になって直下を通る現在の横須賀線や県道のトンネルが開通するまで、長い間、幹線道路として使いつづけられた重要な道です。
急峻な尾根を掘り割って造られた切通は、時代が下るにつれて通行しやすいように改修したり、地震等で崩れては復旧を繰り返しているため、鎌倉時代の姿そのものではありません。しかし、その周辺には、横穴式の供養施設である「やぐら」が150基も集中する「まんだら堂やぐら群」や、死者を荼毘に付した跡など、中世の葬送に関する遺構が数多く分布するほか、切通の防衛にも関係すると考えられる人工的な平場や大規模な石切場跡(大切岸)が尾根筋に見られるなど、古都鎌倉の周縁の歴史的景観をたいへん良く残しています。(逗子市教育委員会 案内板 より)

(17) お猿畠の大切岸 (おおきりぎし)

長さ800メートル以上にわたって高さ3~10メートルの断崖が尾根に沿って連続する壮大な遺構です。従来、鎌倉幕府が三浦一族の攻撃に備えて鎌倉の守りを固めるため、切通の整備とあわせて築いた防衛遺構だと言われてきましたが、平成14年度の発掘調査で、大規模な石切作業の跡だということが確認されました。これによって鎌倉防衛の役割が完全に否定されたわけではありませんが、鎌倉では14~15世紀頃の建物基礎などに切石を大量に使用しており、ここはその頃の石材の生産地だったと考えられます。なお、「お猿畠」という地名は、鎌倉を追われた日蓮が、この付近で三匹の白猿に助けられたという伝承にちなむものです。(逗子市教育委員会 案内板 より)

(19) パノラマ台、(21) 水道山展望台

それぞれ標高約110メートルの展望台。パノラマ台の頂上は狭く、4人ぐらいが掛けられるベンチがあって、江の島がよく見えますが、急な山道を上り下りすることになります。水道山展望台には水道施設があって、その保守等のための車両がはいれるように舗装された道路を歩きます。

(22) 子ども自然ふれあいの森

鎌倉ハイランドを囲むように、かまくら幼稚園の南にある自然公園です。自然とふれあうことを目的にしているので遊具などはありませんが、緑がおい茂る広い園内には散策路やベンチが設けられています。また、かまくら幼稚園の北側には、広い芝生広場があり、藤棚もあります。「(23) 関東の富士見百景」からは、伊豆半島や箱根、丹沢を見渡すことができ、晴れた日には富士山も見えます。

(25)~(27) 巡礼古道

坂東三十三観音の第1番札所 大蔵山 杉本寺(鎌倉市二階堂903)から第2番札所 海雲山 岩殿寺(逗子市久木5丁目7−11)を結ぶ巡礼の道を逆にたどります。 静かな山道で、道端には随所に庚申塔や石切場が残り、昔の人たちの信仰に触れる気がします。なお、ハイランド住宅から第2番札所のあいだの巡礼道は、ハイランド宅地開発によって消滅してしまいました。

(28) 旧華頂宮邸

昭和4年の春に華頂博信侯爵邸として建てられ、平成8年5月鎌倉市が取得し、平成18年4月には景観重要建築物に指定されました。洋風建築の旧宮邸は春秋の2回公開されます。フランス式庭園は入園無料で、公開(休園日は 月曜日・火曜日)されています。(休園日、公開日など詳しくは、鎌倉市ホーム > 産業・まちづくり > 景観・風致 > 旧華頂宮邸 をご覧ください)

(29) 報国寺

1334(建武元)年創建の臨済宗建長寺派の寺。天岸慧広(てんがんえこう)が開山、開基は足利尊氏の祖父である足利家時。かつては足利・上杉両氏の菩提寺として栄えました。古くから境内の孟宗の竹林で知られ、「竹の寺」とも呼ばれています。拝観料は200円で、抹茶(干菓子付)込みが500円です。(詳しくは、報国寺 HOUKOKUJI <公式> をご覧ください)

(34畠山重忠邸趾

畠山重忠は、頼朝の鎌倉入り以降は源氏に従い、義仲追討や平家追討の戦い、奥州の藤原攻めにも参加するなど活躍した、鎌倉時代初期の御家人で、その館は武蔵嵐山の菅谷館跡(国指定史跡)にあったと伝えられています。

ショートカット・オプションコース

ショートカットコース

急な上り下りが多い「((08)安国論寺境内一周[高低差30.4m])((19)パノラマ台[高低差18.1m]往復)((21)水道山展望台[高低差20.1m]往復)((28)旧華頂宮邸往復)((28)旧華頂宮邸庭園一周)((29)報国寺境内一周)」を省くと、約1キロメートルの距離短縮になります。

オプションコース

早く報国寺に着いたら、

(A) 報国寺⇒(B) 一条恵観山荘⇒(C) 坂東三十三観音第1番札所 大蔵山 杉本寺⇒(D) 分れ岐(地図では、青い線

と回ってみるのはいかがですか?

ちょっと寄り道

鶴岡八幡宮三の鳥居からまっすぐ伸びる若宮大路沿い、小町通り、そのあいだの路地にも、たくさんの飲食店があります。

やきとり ひら乃」をおすすめしたいんですが、2018年11月22日に寄ってみたら、しばらく休業の貼り紙がありました。2020年、営業しているようです。開店の30分以上前に行って並ばないと第1巡で入店できません。ただし回転は早く、ほとんどのお客さんの滞在時間は1時間ぐらいです。

JR鎌倉駅東口至近で、気軽に一杯飲めて、食事もできる大正13年創業の「あさくさ食堂」を見つけました。東急ストア鎌倉店と若宮大路のあいだにあります。お酒1種類、つまみは10品から2品選択で890円という「ちょい呑みセット」がお得です。

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