大多摩ウォーキングトレイル(Otama Walking Trail)のコースにある路傍の石仏(Stone Buddha of roadside)です。
寛永9年(A.D.1632)という年号を記した石仏もあります。いまから400年近く昔のことです。
以下の石仏のうちの②~⑩は、青梅街道から旧道に入り寸庭川までの600メートルのあいだにあります。それぞれの石仏の年代をチェックしていないし、言い伝えも知らずに、空想したことを以下、記します。

このサイトの「日本橋七福神を歩く:東京駅から門前仲町駅まで(123)」のなかに、「松島神社(大黒天=豊穣の神)」の説明を載せました。そこで、明暦3 (1657) 年の大火(振袖火事)に触れました。
また、「狛江・古墳めぐり(200)」のなかの「六郷道」の説明のなかに、この振袖火事で焼け野原になった江戸を復興するため、奥多摩の木材を多摩川河口付近の六郷まで、筏師が流していったと書きました。
多摩川の流れは、鳩ノ巣渓谷で狭く急流となり、上流から筏に組んで木材を流すことができません。寸庭橋のあたりで、筏を組んだそうです。上流から流してきた材木を集める人、筏に組む人、下流へと筏を操ってながしていく筏師、それら労働者を手配する人・管理する人、江戸の材木商と奥多摩の森林の権利者とのあいだを仲立ちする商人や金融業者、作業場や寄宿舎を経営する人、労働者たちに食事を供給する人たち、・・・。大勢の人たちで、活気に満ちていたのでしょう。
多摩川の河口まで筏を流した筏師は、多摩川の流れに沿って、歩いてまた、鳩の巣に戻ってきました。
そうした人たちが、寸庭橋への旧道を行き交い、生活していたのでしょう。そうした人たちが、石仏たちに向かって、日々、心を静めていた様子を目に浮かべました。

「大多摩ウォーキング:古里駅~奥多摩駅」のコース紹介写真紹介もご覧ください。

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