都心に森をさがす:品川駅~武蔵小山駅 (031)―12㎞

林試の森公園
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6 コースの説明

コースの特徴

  • 都心に、こんなにたくさんの森があったのかと、きっと驚くことでしょう。開発から免れている高輪の細い路地は、昭和の面影が色濃く残っています。いつも見る東京とは違った風景が楽しめます。
  • サクラツツジモミジ新緑などがきれいに植えられているホテルの庭園、自然のままのを維持している自然教育園林試の森公園 (むかし、林業試験場だった) など、変化にとんだ自然を満喫できます。
  • 多摩川や荒川およびその支流が流れ込む一帯の東京湾沿岸部の歴史を豊富な資料や映像・コンピュータグラフィックスで展示する歴史博物館寄生虫専門の博物館、江戸時代に彫られた五百体の羅漢 (らかん) を拝観できるお寺など、興味深い場所をまわります。
  • 疲れたら、コース途中にある東京メトロの白金駅、山手線の目黒駅から帰れます。バスやタクシーも頻繁に通っています。

コースの概要

(カッコ内の数字は、地図の番号と対応しています)

(01) JR品川駅高輪口―(02) 高輪森の公園―(03) グランドプリンスホテル高輪 日本庭園―(04) 高輪公園―(05) 東禅寺―(06) 高野山東京別院―(07) 高輪消防署二本榎出張所―(08) 八芳園西門―(09) 八芳園木戸門(庭園入口)―(10) 古地老稲荷神社―(11) 郷土歴史館等複合施設「ゆかしの杜」―(12) 近代医科学記念館―(13) 白金台どんぐり児童遊園―(14) 国立科学博物館附属自然教育園―(15) 大圓寺―(16) 大鳥神社―(17) 目黒寄生虫館―(18) 青木昆陽墓―(19) 海福寺―(20) 五百羅漢寺(羅漢寺)―(21) 瀧泉寺 仁王門―(22) 瀧泉寺(目黒不動尊)―(23) 林試の森公園 もちのき門―(24) サービスセンター―(25) 林試の森公園 水車門―(26) 東急目黒線・武蔵小山駅

コースの地図

コースの区間距離

ポイント 区間距離 累計距離
(01) JR品川駅高輪口  ―  ―
(02) 高輪森の公園 487m 487m
  高輪森の公園一周(見学・無料)  223m 710m
(04) 高輪公園 1,070m 1,780m
(08) 八芳園西門 1,360m 3,140m
  八芳園庭園一周(見学・無料)  536m 3,676m
(11) 郷土歴史館等複合施設「ゆかしの杜」
 (見学・有料)
373m 4,049m
(12) 近代医科学記念館(見学・無料) 269m 4,318m
(14) 国立科学博物館附属自然教育園 670m 4,988m
  自然教育園一周(見学・有料/65歳以上無料) 1,940m 6,928m
(15) 大圓寺 819m 7,747m
(16) 大鳥神社 651m 8,398m
(17) 目黒寄生虫館(見学・無料) 164m 8,562m
(18) 青木昆陽墓 511m 9,073m
(20) 五百羅漢寺(羅漢寺) 201m 9,274m
  五百羅漢寺拝観(拝観・有料) 148m 9,422m
(21) 瀧泉寺仁王門 252m 9,674m
  瀧泉寺(目黒不動尊)拝観拝観・無料) 572m 10,246m
(23) 林試の森公園 もちのき門 260m 10,506m
(24) サービスセンター 641m 11,147m
(25) 林試の森公園 水車門 559m 11,706m
(26) 東急目黒線・武蔵小山駅 452m 12,158m

*興味がなければ、黄色でマーキングした場所は通過してください。すべて通過すると、全行程 9kmぐらいのコースになります。

コースの写真

各スポットの写真は、こちらをご覧ください 031-都心に森をさがす:品川駅~武蔵小山駅

コースの説明

(01) JR品川駅高輪口―(02) 高輪森の公園―(03) グランドプリンスホテル高輪 日本庭園

高輪森の公園

薩摩藩島津家の下屋敷があったところで、明治に入り後藤象二郎(土佐藩出身の政治家)の屋敷となった後、宮家の邸宅として昭和22年まで使われていたそうです。約5,000平方メートルの傾斜のある地形に生い茂った樹木のあいだを縫って、散歩みちができています。子どもたちにとっては、「冒険の森」になっているようです。指定管理者:株式会社グリーバル 港区立高輪森の公園 に「公園からのお知らせ」等が掲載されています)

グランドプリンスホテル高輪 日本庭園

高輪森の公園から、いったん第一京浜までくだり、さくら坂を折り返して、サクラ並木をのぼり、ザ・プリンス さくらタワー東京の正面玄関を通り過ぎてすぐ、左側に庭園への入口があります。
2万平方メートルある庭園は、お花見の名所として知られ、17種類200本以上のサクラが3月から4月に咲き誇ります。また、四季折々に咲く花木が植えられていて、1年を通して楽しむことができます。
庭園にある鐘楼は1656(明暦2)年建立で、1959年に奈良の念仏寺より移築されました。
グランドプリンスホテル高輪ホームページ > 施設案内 に日本庭園の案内があります。

無料で見学できますが、マナーを守って見学させていただきましょう。
また、ホテルの都合で入園できない場合は、さくら坂をそのままのぼり、旧竹田宮邸洋館をすぎたところを右手に下る階段で高輪公園に行けます。

(04) 高輪公園―(05) 東禅寺―(06) 高野山東京別院―(07) 高輪消防署二本榎出張所―(08) 八芳園西門

高輪公園

日本庭園から白亜の国際館パミール前を通ってさくら坂に抜け、旧竹田宮邸洋館手前のグランドプリンスホテル高輪正面向かいの急な階段を下ると高輪公園が見えます。以前はお屋敷だった約6,000平方メートルある児童公園ですが、日本庭園風に池や東屋がしつらえてあります。園内にはケヤキやコナラの大きな木があって、木陰をつくっています。

佛日山東禅寺

臨済宗妙心寺派の別格本山で、1609(慶長14)年、赤坂で創建し、1636(寛永13)年に、現在地へ移転して東禅寺となりました。
東京都教育委員会(平成24年3月)の掲示板によると、東禅寺は、

幕末の安政6年 (1859)、最初の英国公使館が置かれた場所です。……幕末の開国に伴い、安政6年6月、初代英国公使(着任時は総領事)ラザフォード・オールコックが着任すると、東禅寺はその宿所として提供され、慶応元年 (1865) 6月まで7年間英国公使館として使用されました。その間、文久元年 (1861) 5月には尊王攘夷派の水戸藩浪士に、翌2年5月に松本藩士により東禅寺襲撃事件が発生し、……

とあります。幕末期に各国公使館が置かれた他の寺院は大きく改変され、ここが当時の公使館の姿を伝えるほぼ唯一のところになってしまい、国史跡に指定されているそうです。
ただし、公使館が置かれた僊源亭 (せんげんてい)、その前の庭園、東禅寺を菩提寺としている十数の大名家墓所は非公開で、見学できません。

高野山東京別院

東禅寺から細い路地をのぼり、最後は急な階段をあがると、バス通りに出ます。さらに坂をのぼった高台に高野山東京別院があります。地下には、地下7階建ての東京電力パワーグリッド「高輪変電所」が設置されています。
高野山東京別院ホームページ によると、

高野山真言宗 総本山金剛峯寺の別院です。 慶長年間、高野山の宝門・寿門の学侶方の在番所として開創され、延宝元年(1673年)高野山江戸在番所高野寺」として建立されました。 幕府と宗務全般の交渉、および幕府の諸通達を全国の古儀真言寺院に達する触頭(ふれがしら)の責務を担いました。 高野山から重役方が交代で参勤し、学侶教修の道場、大師信仰の実践の場として重要な役割を果たしました。明治に入って在番所の廃止に伴い、葛飾牛島の長壽寺の名蹟を移して寺蹟を継承し、昭和2年「高野山東京別院」と改称しました。 住職は、総本山金剛峯寺座主が兼摂し、主監を任命して、東京別院の経営と東京における本山ならびに宗団の教務を処弁しています。 また、東京別院は、首都圏における「大師信仰」の教化の拠点であり、壇信徒のみならず、 広く人々の心の拠り所として歴史を刻んでいます。

高輪消防署二本榎 (にほんえのき) 出張所

1933(昭和8)年12月に落成した建物で、高台にある交差点にあるユニークな消防施設です。一時期は高輪消防署が置かれていました。2010年、近代建築の遺産(ドイツ表現主義)として東京都選定歴史的建造物に選定されています。
「二本榎出張所では、庁舎の見学を希望する方に内部を公開しています。ご希望の方は二本榎出張所までお問い合わせ下さい。」東京消防庁ホームページ>高輪消防署>消防署紹介>二本榎出張所 より)

(08) 八芳園西門―(09) 八芳園木戸門(庭園入口)―(10) 古地老稲荷神社

八芳園庭園

広大な敷地に、自然の地形を生かし丹精込めて造られた日本庭園が広がり、レストランや結婚式場、宴会場があり、茶会、ビジネスイベントや各種パーティが開かれています。
日本庭園は池を中心とした回遊式庭園で、ツツジや樹齢数百年の松、サクラモミジの木が配され、見事な盆栽も鑑賞できます。
庭園にたたずむ茶室「夢庵」でゆったりとした時間を楽しむのも、おすすめです。お抹茶とお菓子を愉しむ呈茶は一名様1,080円(税込)です。
(庭園の様子は、HAPPO-ENホームページ「 Garden Map」をご覧ください)

ここは、江戸時代前期には旗本・大久保彦左衛門の屋敷だったいわれています。1915(大正4)年、「鉱山王」と呼ばれた久原房之助が私邸として現在の建物と庭園を整備し、1950年、長谷敏司との共同経営で、邸宅と日本庭園の一部を利用した本格的な料亭「八芳園」を創業しました。数年後、共同経営者だった長谷敏司側へ譲渡され、株式会社八芳園が運営しています。

日本庭園の見学は無料でできますが、催し物などで入園できないときもあります。また、イベントなどがあるときは、妨げにならないようお願いします。庭園で飲食したり、ゴミを捨てたり、騒いだり、その他マナーに反する行動は控えるよう気をつけましょう。

古地老稲荷神社

江戸では大火が百回以上起き、なかでも「明暦の大火」(1657年=死者10万7,000人)、「目黒行人坂・大圓寺の大火(1772年=死者1万4,700人)、「丙寅の大火」(1806年=死者1,200人) を江戸の三大大火といいます。
古地老稲荷は1829(文政12)年、火伏せの稲荷として日吉坂上に鎮座されたところ、不思議なことに縁日には必ず雨が降ったそうで、篤く信仰されるようになりました。
八芳園の隣のこの場所に遷宮したのは1915(大正4)年6月で、1923年9月1日の関東大震災にも、第二次世界大戦空襲にも、火災を免れています。

(11) 郷土歴史館等複合施設「ゆかしの杜」―(12) 近代医科学記念館

郷土歴史館等複合施設「ゆかしの杜」

「ゆかしの杜」は、港区立の郷土歴史館等複合施設で、昭和13年竣工の「公衆衛生院(内田祥三(よしかず)設計) だった地下1階地上6階の歴史的な建物を保存しながら、2018年3月に耐震補強やバリアフリー化したものです。
ここには郷土歴史館、がん在宅緩和ケア支援センター、子育て関連施設 (学童クラブ・子育てひろば・みなと保育サポート等)、区民協働スペース、図書室、ミュージアムショップ等があります。
館内は、ゴシック調の中央ホール旧院長室などを自由に見学できます。1階にはカフェもあり、ほかの階には休憩室もあります。
2・3・4階には2018年11月開館の港区立郷土歴史館があり、常設展示室では、環境・貝塚・内湾漁業を通した東京湾とのかかわり、武家地・寺社地・町人地とそこにかかわる人々の姿を通した近世都市の様子、国際化・教育・交通運輸・産業・災害・戦争を通じた近現代の港区の歴史を、コンピュータのタッチパネルを活用しながら、豊富な資料で紹介しています。
なお内田祥三(1885-1972年)はコンクリート構造研究を開拓した建築家で、東京帝国大学総長も務めました。設計した作品は、東京大学安田講堂、東京大学小石川植物園本館、浴風会本館(東京都杉並区)など多数あります。

港区立郷土歴史館の常設展観覧料:一般300円、開館時間:午前9時~午後5時、休館日は毎月第3木曜および年末年始  (12月29日から1月4日)、ただし、第3木曜が国民の祝日の場合は開館してその前日の水曜が休館。港区内在住者は、無料公開日があります。詳しくは、港区立郷土歴史館ホームページ をご覧ください。

近代医科学記念館

郷土歴史館等複合施設「ゆかしの杜」 の向かい側ですが、いったん目黒通りに出て、医科学研究所の正門から入り、すぐ左側にあります。
1892年(明治25年)に設立された伝染病研究所(伝研)は、ワクチン・抗血清など細菌学的製剤の最大の製造所として、また、伝染病に対する医師・衛生行政関係者の教育や細菌学的製剤の検定・認可も担当するなど、日本の伝染病研究・医療の中心として活躍しました。
抗生物質と衛生状態の改善により伝染病研究の重要性が薄れる時代を迎え、伝研は1972年に医科学研究所として生まれ変わり、感染症、ガンその他の特定疾患の学理の解明とその応用、ゲノム医療、細胞・遺伝子治療等の先端医療の開発・研究を行い、附属病院も併設しています。
近代医科学記念館は、この間における貴重な歴史的資料の保存と紹介、難病を克服するための新たな戦いに挑んでいる姿をデジタル映像をまじえて紹介してます。野口英世の履歴書など、珍しい史料もあります。
入館料は無料で、開館時間:午前10時~午後5時、休館日は日曜日よよび年末年始(12月28日~1月4日)ですが、その他、 都合によって昼の閉館(午後1時15分~2時15分)や臨時に休館することがあります。

(13) 白金台どんぐり児童遊園―(14) 国立科学博物館附属自然教育園

国立科学博物館附属自然教育園

自然を活かした植物園で、コナラ・ケヤキ・ミズキなどの落葉樹、スダジイ・カシ類・マツ類などの常緑樹が広がり、ススキやヨシの草はら、池や小川などがあります。
園内には土塁の一部が残っていますが、これは室町時代、この地方にいた豪族がこの地に館を構えていたと考えられています。それは「白金長者」だという言い伝えも残っています。

1664(寛文4)年には高松藩主の下屋敷となり、園内にある物語の松おろちの松などの老木は、当時の庭園の名残りと考えられているそうです。
明治時代には海軍省・陸軍省の管理下の火薬庫、大正になって宮内省の所管となり「白金御料地」と呼ばれました。戦後、文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、1962年、国立科学博物館附属自然教育園となりました。

入園料は一般310円、65歳以上および18歳未満、障がい者手帳をお持ちの方およびその介護者1名は無料で、入園時間:午前9時~午後4時、休園日は毎週月曜日 (ただし、祝日・休日の場合は開園し、火曜日が休園)、祝日の翌日(ただし、土・日の場合は開園)および年末年始(12月28日~1月4日)です。詳しくは、国立科学博物館附属自然教育園ホームページ をご覧ください。園内マップも掲載されています。

(15) 大圓寺―(16) 大鳥神社―(17) 目黒寄生虫館―(18) 青木昆陽墓

大圓寺

1624(寛永元)年に出羽湯殿山の修験僧大海法印が大日如来を本尊として道場を開いたのが始まりで、寺の前の急坂は、大圓寺を拠点とする修験僧の行者たちが多く行き交ったので「行人坂」と呼ばれるようになったそうです。
江戸三大火のひとつ、1772(明和9)年に発生した「行人坂の大火」の火元とされ、境内左の斜面にある五百羅漢は、この火事で亡くなった人々を供養するために建立されました。釈迦三尊像を囲む十大弟子・十六羅漢の背後に491基の羅漢像が並び、多くは1781年以降の建立です。
釈迦堂の本尊は、嵯峨・清涼寺に伝わる本尊(国宝)を模して1193(建久4)年につくられた「生身の釈迦如来」像で、他の清涼寺式釈迦如来像よりも原像に相似しており、解体修理の際、胎内から鏡や女性の髪、紙片などが発見され、国・重要文化財に指定されています。
本堂には、徳川家の繁栄と江戸守護のための三面大黒天像が安置されています。
境内には「西運」の石碑があります。江戸時代、本郷駒込町に住む八百屋の娘お七は1682(天和2)年の火事で近所のお寺に仮住まいしていた16歳のとき、寺小姓だった18歳の吉三に恋をしました。避難生活が終わり吉三と離ればなれになったお七は吉三に会いたい一心で、火事になればまた会うことができると思い自宅に火を放ちます。当時、放火は大罪で、お七は火あぶりの刑に処せられて亡くなります。吉三は西運と改名し、お七の霊を弔うために諸国を行脚した後、大圓寺の坂下にあった明王院(現在、ホテル雅叙園)に阿弥陀三尊像を祀って1万日の念仏行を成し遂げます。西運は行人坂の石畳を直したり、目黒川の橋をかけ替えたり、社会活動を行いました。都心の庭園・植物園を訪ねる:王子駅~後楽園(春日/水道橋)駅 (025) -11km では、お七の墓 (圓乗寺) に立ち寄ります)

大鳥神社

御祭神は日本武尊。景行天皇の時代 (西暦71-130年)、この地にあった社に立ち寄った日本武尊が戦勝と部下の目の病の治癒を祈願したところ、戦に勝ち、部下の目も良くなったため、当社を盲神(めくらがみ)と称え、手近に持っていた十握剣(とつかのつるぎ)を当社に献って神恩に感謝されました。この剣が天武雲剣(あめのたけぐものつるぎ)で、現在、社宝となっています。
日本武尊は鳥明神(とりみょうじん)と呼ばれ、社伝によると、「尊の霊(みたま)が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る」とあって、806(大同元)年には、社殿が造営されました。大鳥神社の社紋が鳳凰(ほうおう)の紋を用いているのはこのためです。
大鳥神社の(とり)の市は、江戸時代にはじまります。
境内には、大鳥神社所蔵の「切支丹灯籠 (きりしたんとうろう)」があります。竿石(さおいし)の下部に刻まれた像には足の表現がなく、イエス像を仏像形式に偽装した珍しいものです。

目黒寄生虫館

目黒通りに面したビルは、1階と2階が博物館展示室になっています。人体にいた寄生虫の標本を見ると、驚くばかりです。ミュージアムショップには、寄生虫のイラストが描かれたTシャツなど、ここでしか買えないユニークなグッズがあります。
目黒寄生虫館のホームページ によると、

目黒寄生虫館は、医学博士 亀谷了(1909-2002)が私財を投じて1953年に創設した寄生虫学専門の私立博物館です。
館内には国内外から集められた約300点の標本及び関連資料を展示しています。
1階では「寄生虫の多様性」をテーマに様々な動物群に属する多様な寄生虫の姿を標本や動画等で紹介し、2階では「人体に関わる寄生虫」というテーマで、寄生虫のライフサイクルや人間に感染した場合の症状、日本の寄生虫学研究の歴史などについて解説しています。
また、当館では研究活動に加え、啓発活動や出版活動など様々な事業を行っています。
 理事長 亀谷みどり
​ 館 長 小川 和夫

入館料は 無料ですが、「ご寄付にご協力ください」とのことです。開館時間は午前10時~午後5時で、休館日は毎週月曜日・火曜日および年末年始で、月曜日・火曜日が祝日の場合は開館し、直近の平日に休館とのことです。

(19) 海福寺―(20) 五百羅漢寺(羅漢寺)―(21) 瀧泉寺 仁王門―(22) 瀧泉寺(目黒不動尊)―(23) 林試の森公園 もちのき門―(24) サービスセンター―(25) 林試の森公園 水車門―(26) 東急目黒線・武蔵小山駅

海福寺

青木昆陽墓から40メートルぐらい不動公園のほうに戻ると、左側に細い道が海福寺の裏門につづいています。門から階段を下り、寺の裏を回り込むと正面に出ます。
海福寺は、明から来朝した隠元隆埼(いんげんりゅうき)が1658(万冶元)年に江戸深川に開創した黄檗宗(おうばくしゅう)の寺でしたが、1910(明治43)年に現在地へ移転しました。本尊は釈迦牟尼仏です。
黄檗宗は江戸時代に始まった禅宗で、本山は、1661(寛文元)年に隠元が開創した京都府宇治市の黄檗山萬福寺です。隠元は当時の中国でも高名な僧で、日本にもその名声が伝わっていました。
山門左手前には、1807(文化4)年の深川富岡八幡宮大祭の時に起こった、永代橋崩落事件の死者供養のために建てられた「文化4年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑」(都指定文化財)があります。

五百羅漢寺(羅漢寺)

天恩山羅漢寺 (通称:天恩山五百羅漢寺)鉄眼道光禅師が1695(元禄8)年、武蔵野国亀戸村本所五ッ目堅川の南に開山した黄檗宗の寺院でしたが、1948年に黄檗宗より独立し、現在は浄土宗系の単立宗派です。
元禄時代、当寺を開基した松雲元慶禅師は江戸の街を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて536体の羅漢像を彫りあげました。
本堂には、本尊釈迦如来がその弟子である羅漢様に説法している光景が再現されていて、静かな時間が流れています。
羅漢堂には、本堂に納めきれない146体の羅漢様がが安置され、それぞれの表情が、伝えていること、記されているお言葉が迫ってきます。
聖宝殿には、お寺の歴史を物語る史料、さくら隊原爆殉難者の写真などが展示されています。
五百羅漢寺は明治維新のあと苦難の時代があったそうで、縁起や羅漢様などの詳しい紹介が 天恩山五百羅漢寺ホームページ に載っています。
拝観料は一般300円、拝観時間は9:00~17:00(無休)です。

移動演劇隊「桜隊」は、1945年8月6日、広島県内を巡演中に爆心地から750メートルにあった宿舎で被爆し、居合わせた9名全員の命を奪われました。戦後、徳川夢声氏の呼びかけで、多くの関係者の協力により目黒の五百羅漢寺に「桜隊原爆殉難碑」が建立され、今日まで毎年8月6日に「移動演劇・桜隊原爆忌」として追悼会を催しているそうです。(桜隊原爆忌の会ホームページ より)

瀧泉寺(目黒不動尊)

不動明王を本尊とした天台宗の寺院です。808(大同3)年に慈覚大師圓仁が下野国から比叡山に赴く途中、霊夢を見て彫刻した不動明王を安置して創建した、と伝えられています。「瀧泉寺」という寺名は、堂宇建立を決意した大師が法具の獨鈷(どっこ)を投じたところ泉が湧き、「獨鈷の瀧」と名づけられたことに因んでいます。
江戸時代になり、徳川家光が尊信するようになり、歴代将軍が参詣し、「目黒御殿」と称されました。
詳しい紹介は、天台宗 泰叡山 瀧泉寺 (目黒不動尊)にあります。

林試の森公園

面積12万平方メートル、東西700メートル、南北250メートルの細長い公園で、クスノキ、タイザンボク、ラクショウ、シラカシ、ケヤキ、プラタナスなどの大木が育ち、芝生広場、大きな広場、プラタナスの広場、森の広場、冒険広場、デイキャンプ場、ジャブジャブ池、幼児コーナーがあります。
ここは1900(明治33)年に当時の農商務省林野整理局が「目黒試験苗圃」を設置したのが始まりで、その後、林野庁「林業試験場」となりました。試験場は1978年に筑波研究学園都市の建設に伴い、つくば市に移転し、跡地が1989年6月1日に「都立林試の森公園」として開園しました。
東京都公園協会ホームページ「公園へ行こう!」> 林試の森公園 に、園内マップや見どころ紹介があります。

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