JR中央線・西荻窪駅から小金井公園(058) 12㎞

冬は小金井公園の梅林をめざし、春は染井吉野のトンネルをあるく12キロ。

JR中央線・西荻窪駅を出発し小金井公園に至る、サクラやフジ、アジサイ、コスモス、ウメなど、楽しむことができる平坦な約12キロメートルのコースです。善福寺公園、立野公園、武蔵野中央公園、小金井公園と、その間を千川上水、グリーンパーク緑地、狭山・境緑道がむすびます。各公園をふくめ、休憩する場所、のんびり休めるところ、トイレは随所にあります。

[コース] JR中央線・西荻窪駅―龍神童子―花の童子―坂の上のけやき公園―井荻公園―大朝露童子―縁結び童子―原寺分橋下の湧水―善福寺川―善福寺池 下の池―東京都立善福寺公園―善福寺池 上の池[サクラ]―遅野井湧水―善福寺池出口―アイメイト発祥の地―千川上水―練馬区立立野公園[サクラフジ]―千川上水―千川上水施餓鬼亡霊供養塔―更新橋の庚申塔―武蔵野中央公園[サクラ]―グリーンパーク緑地―御門訴事件記念碑―石橋供養塔―文字庚申塔―招魂塔―信号「関前五丁目」―多摩湖自転車歩行者道[サクラ]―向台町五丁目―東京都立小金井公園東口―東京都立小金井公園[サクラ]―梅林[ウメ]―江戸東京たてもの園

コースの写真は、コチラ をクリック。 

今回のウォーキングは「六童子巡り」から始まる。西荻の町おこしの一環として町巡りを楽しむように設置された、薮内佐斗司氏作の童子像6体のうち4体がコース上にある。ユニークで可愛い作品なので6体全てをスマホで撮ってコースに戻っても、後々楽しみは深まるだろうし折に触れ癒されることだろう。
西荻駅南口には『花の童子』がある。北口へ戻り商店街を進んで「西荻北中央公園」の『龍神童子』、さらに住宅地を歩いていくと「丘の上のけやき公園」へ出る。善福寺川への斜面の上にそそり立つ、あゝこの欅の巨樹は、いつまでも会話を続けていたくなるほどの見飽きぬ素晴らしさだ。ただのランドマークではなく、この巨樹は神霊の宿る神籬(ひもろぎ)に違いない、そう思わせる何かを持っている。


「井荻公園」の『大朝露童子』、地蔵坂の『縁結び童子』を見、女子大通りを少し戻って原寺分橋下流の善福寺川の湧水群をのぞき込んでから、上流の「善福寺公園」へ向かう。善福寺公園の上池と下池を結ぶ「遅野井川」が2018年に掘削整備され、親水公園として水遊びもできるようだ。
上池には井荻町の町長として、今も杉並区の地図を開けばわかるような区画整理(昭和10年)を行い、電灯を敷設(大正10年)し、善福寺を水源とする井荻水道(昭和7年)を完成させ、西荻窪駅を誘致(大正11年)した内田秀五郎翁の銅像が立っている。
遅野井の滝の脇を通り「アイメイト発祥の地の碑」をみて千川上水へ出る。屋敷林や畑を眺めながらゆっくりと歩いていく。途中「立野公園」へ寄る。この公園は中央大学の野球グラウンド跡地に造られたそうで、そのせいか広々とした空と芝生広場があって犬を連れての入園が許されている。また、桃花源という中国式庭園もあってウォーキングの途中一休みするのには絶好の公園である。


武蔵野市の体育館や陸上競技場や野球場や市役所のある一帯を抜け「武蔵野中央公園」を通り「グリンパーク遊歩道」を歩く。案内によると、今歩いてきた武蔵野市のいろいろな施設のある所や中央公園辺りは中島飛行機の跡地で、この遊歩道はその工場への引き込み線の跡だったそうだ。その後国鉄の武蔵野競技場線となってから廃線となった。もっと以前は境の浄水場建設の際の資材運搬の引き込み線であったとのことだ。
五日市街道へ出て再び千川上水に出会いしばらく歩いて「狭山・境緑道 (多摩湖自転車歩行者道)」へ入る。この緑道は多摩湖から境浄水場まで敷設した水道管の上を緑化した道であり10.5kmある。自転車・歩行者の専用道が通っていて、緑道沿いには、ツツジ紫陽花花桃、などが咲き楽しませてくれるほか、野菜の無人スタンドもあり朝採れの野菜を求めることもできるだろう。
小金井公園へ東口から入る。小金井市、武蔵野市、小平市、西東京市にまたがる広大な公園で、小金井桜の流れをくむ桜祭りでは多くの人を魅せているが、それ以外にも折々、コスモス祭り梅祭りなども開かれている。「江戸・東京たてもの園」もあり木洩れ日、小鳥の囀り、渡る風の音などを聞きながらの散策にひとときを癒されてみるのもいいだろう。(by H.I)

コース地図をご覧ください。

 

コース距離です。

ポイント 区間距離 累計距離
JR中央線・西荻窪駅  ―  ―
井荻公園 856m 856m
東京都立善福寺公園 1,550m 2,406m
善福寺公園上の池 541m 2,947m
アイメイト発祥の地 624m 3,571m
練馬区立立野公園 入口 601m 4,172m
練馬区立立野公園一周  376m 4,548m
更新橋 1,020m 5,568m
武蔵野中央公園 出口 1,290m 6,858m
武蔵野大学正門前 1,030m 7,888m
雇用促進住宅向台宿舎先の交差点 2,000m 9,888m
小金井公園売店 1,240m 11,128m
梅園 542m 11,670m
江戸東京たてもの園 343m 12,013m

コースポイントの説明

西荻窪六童子めぐり

杉並区が、まちめぐりを楽しんでもらうために、薮内佐斗司 作の「童子像」を西荻窪地域の6か所に設置しました。②,③,④,⑤をまわります。

①西荻南児童公園 「おすもう童子」
②JR西荻窪駅南口 「花の童子
③西荻北中央公園 「龍神童子
④井荻公園 「大朝露童子
⑤地蔵坂 「縁結び童子
⑥西荻地区区民センター 「上向き童子」

薮内佐斗司さんは、

1953年に生まれた彫刻家・籔内佐斗司は、古文化財の保存と修復の経験に基づく確かな技術を駆使した木彫作品を通じて、日本人の心象風景や東洋的自然観を暖かく穏やかな造形で表現している。そして滑稽さと諧謔に満ちた奇想天外な作品世界は観る人を魅了してやまない。
最近では木彫以外にブロンズの作品を多く手がけ、「Art for the Public」として屋外や公共空間にも活動の場を広げ、住民の側に立ったまちづくりにも積極的に参加している。(ホームページ「 籔内佐斗司の世界」から)

坂の上のけやき公園

幹周り杉並区内最大のけやきの大木は、かつて「トトロの樹」と呼ばれていました。この樹を活かした公園づくりに、地元の多くの方々がかかわったそうです。

原寺分橋下の湧水

善福寺川・原寺分橋下の下流側に河床コンクリートがあります。ここから湧水が流出しているのが見えます。環境省ホームページの「東京都の代表的な湧水」にも記録されています。

善福寺川

善福寺川は杉並区にある善福寺池から流れ出て、中野区で神田川に合流し、さらに隅田川に合流して東京湾に注ぎ込みます。

この川の流域には、[杉並] 区内における最大級の複合遺跡として知られる松ノ木遺跡(先土器時代~奈良・平安時代)を始めとして、光明院南遺跡・川南遺跡・谷戸遺跡・大宮遺跡・済美台遺跡などがあり、こうした遺跡や包蔵地の所在は、かつての水量豊かな善福寺川の流れを古くから人々が活用していたことをうかがわせます。
徳川家康は天正18年(1590)江戸に入国すると、ただちに善福寺川・神田川・妙正寺川を給水源とする最初の上水といわれる小石川上水(のちの神田上水)、をつくり江戸に給水しました。そして明治34年、飲料水給水を廃止するまで、善福寺川は東京における最古の水道源のひとつとして人々を潤わせてきたのです。(詳しくは、杉並区ホームページの文化財案内表示板-39 をご覧ください。)

善福寺公園・善福寺池

都立善福寺公園は、善福寺池を中心にした公園で、下の池・上の池に分かれています。2つの池の間をバスが通る道路が横切っています。上の池の水は道路の下の土管を通り、下の池側でホタルが放流される水路となって池に流れこんでいました。杉並区はこの水路部分を2018年に再整備し、「遅野井川」と呼ぶことにしました。江戸時代、善福寺池は「遅野井池」と呼ばれ、善福寺川も「遅野井川」と呼ばれていたそうです。上の池にはボート乗り場があって、のんびり水上から景色を眺めることができます。
「善福寺池」という名称は、昔、この付近にあったお寺の名からとったと伝えられていますが、その寺がどこにあったかは不明のようです。
春にはサクラツツジコブシジンチョウゲシャクナゲ、夏にはアジサイ、秋にはキンモクセイヒガンバナ紅葉、冬にはロウバイサザンカ等が咲きます。
池にはカモ、カイツブリなどの水鳥やカワセミも来ます。

市杵嶋(いちきしま)神社・遅野井(おそのい)湧水

古くはこの地域は「遅野井」という地名でした。源頼朝が奥州征伐に赴く途中、この地に陣を張って宿泊し、飲み水を求めて弓や矢筈で各所を突いて掘ったけれど、なかなか水が出てきません。そこで、弁才天に祈ったところ、やっと水が湧き出してきたという言い伝えがあり、ここから「遅野井」という地名になったそうです。
この言い伝えにならって、建久8(1197)年に江ノ島弁才天を勧請したのが市杵嶋神社の始まり
と言われています。善福寺池・上の池には2つの島があります。もともとは東側の島に社があり、「善福寺池の弁才天」と呼ばれていて、寛永年間に現在の西側の島へ移されたそうです。

旱魃の折には区内はもとより、練馬・中野の村々からも雨乞い祈願に参りました。
雨乞い行事は、池水を入れた青竹の筒2本を竹竿につるして担ぎ、その後に村人たちが菅笠を被り、太鼓をたたいて「ホーホィ、ナンボェ~」と唱えながら村境を巡りました。また氏神の前に井戸水や池水を張った四斗樽4個を据え、四方に散水しながら祈ったともいわれています。
このように旱魃の年ごとに行われてきた雨乞いの行事も、昭和24(1949)年を最後に見られなくなりました。(詳しくは、杉並区ホームページの文化財案内表示板-116 をご覧ください。)

アイメイト発祥の地

視覚障害者の自由な歩行手段としての「アイメイト (盲導犬)」の育成に、執念と生涯を賭けた「塩屋賢一」によって、我が国最初のアイメイト「チャンピイ」が、河相冽氏のパートナーとして、1957(昭和32)年8月に、この練馬区関町南2-22-7 で誕生しました。(現地記念碑より)

練馬区立立野公園

周囲をサクラの樹で囲まれ、一面芝生で、面積約7,000平方メートルの大きな広場があります。ここは中央大学野球グランド跡地で、外野の空間や芝生を残し、野球グランドであった敷地の特性を活かして作られました。
また、公園の西側に、一風変わった塀で囲まれた一角があります。ここは「桃花源 (とうかげん)」と名づけられた中国式庭園で、練馬区と友好交流を行っている北京市海淀(かいでん)区から1994(平成6)年に贈られた碧桃樹(へきとうじゅ)が植えられています。碧桃樹の花は3月下旬から4月上旬頃に咲きます。古来から、桃花源は中国の人たちにとって理想郷とされています。
藤棚があり、また、芝生の広場のまわりにはサクラが植えられています。

千川上水

1696(元禄9)年に徳川綱吉によって開削が命ぜられ、本郷・下谷・浅草方面の飲料水及び、沿川への農業用水供給のために作られた約30キロメートルの水路で、境橋で玉川上水から取水し豊島区西巣鴨まで、台地上の41メートルの落差を流れます。明治以降は工業用水としても使われたものの、戦後、氾濫や幼児の水難事故、都市計画の邪魔になる等によって、1952(昭和27)年から暗渠化工事が始まり、昭和40年代前半には、境橋から青梅街道までの5キロメートル区間を除き暗渠化が完成しました。
ところが昭和60年代に入ると、「清流復活事業」として、開渠部の護岸工事及び暗渠部の補修と清掃が行われ、1989(平成元)年に清流が復活しました。現在は下水道局多摩川上流水再生センターで処理された再生水が流れています。(参考:東京都建設局ホームページの「千川上水」)

千川上水施餓鬼亡霊供養塔

千川上水で水難死した人たちの霊を慰めるために、近在の人々が寄進して、明治41年(一九〇八)3月に建立した「千川上水施餓鬼(せがき)亡憂供羪塔(ぼうれいくようとう)」(総高165cm、最大台石の幅60cm/関町南四‐2)です。台石正面には「右ハ田無小金井道」「北ハ関青梅街道々」「左ハ吉祥寺停車場 井之頭道」と刻まれ、昔は道標の役割を果たしていたことを示しています。かつての千川上水は時には “魔の川″ の一面を見せることもありました。(『ねりまの文化財(千川上水特集号)』第60号2面、平成16年3月、練馬区教育委員会生涯学習課(文化財係)、より)

更新橋の庚申塔

青面金剛像を祀った庚申塔があります。『千川上水の今と昔』(練馬区古文書研究会編・平成三年発行)によると、この庚申塔は以前は三郡橋近くの武蔵野市域に置かれていた、とのことです。(『ねりまの文化財(千川上水特集号)』第60号2面、平成16年3月、練馬区教育委員会生涯学習課(文化財係)、より)

武蔵野中央公園

東京ドームのグラウンドが約8面入る、面積1,124アールの広大な都立公園で、既存の「原っぱ」を生かし、周囲にはサクラ、コナラ、クヌギ、ケヤキ、コブシハナミズキサザンカアジサイツツジが植えられています。
この区域には、戦前・戦時中は中島飛行機製作所という巨大な軍需工場があり、米軍B29による日本初の大規模な空襲で多くの犠牲者が出た戦場跡地でもあります。戦後は米軍に接収されて米軍住宅用地となっていましたが、地元住民などの運動によって返還されて1989(平成元)年に公園となりました。
武蔵野区役所と公園のあいだにあるUR団地がある場所には、戦後、首都圏での球場不足を解消してプロ野球を円滑に運営するため、1952-60年にかけて「グリンパーク野球場」が存在しました。1951年4月14日から行われた東京六大学の春のリーグ戦で初めて使用され、プロ野球のこけら落しは1951年5月5日の国鉄スワローズ対名古屋ドラゴンズ戦でした。野球場開設にあわせ、戦時中の中島飛行機製作所への引込線跡を利用した、三鷹駅から野球場前の武蔵野競技場前駅に至る中央本線の支線(通称「武蔵野競技場線」)も新設され、競技開催日には東京駅からの直通電車も運行されました。しかし、グラウンドに土埃が舞ったり、交通不便なこともあり、神宮球場や川崎球場などが開場して球場不足が解消に向かうと、1952年に閉鎖され、56年に解体されてしまいました。鉄道支線も52年に休止になり、59年に正式に廃止されました。(この付近の歴史については、「通研周辺そのむかし」をご覧ください。)

グリーンパーク緑地

このグリンパーク遊歩道は、太平洋戦争中、今の緑町・八幡町にあった「中島飛行機武蔵製作所」への物資輸送の引込み線跡です。工場では航空機エンジンを製造し、昭和13(1938)年から20(1945)年まで稼働していました。引込み線は(戦争末期の昭和18年頃)、中央線武蔵境駅から玉川上水までの部分は境上水場の引込み線を利用して、工場までの線路が敷設されました。戦争末期には、工場はアメリカ軍の激しい空襲を受け、その際、引込み線も被弾しました。
戦後、昭和26(1951)年、工場跡の一角、現在の「UR住宅・緑町パークタウン」の場所に「東京スタジアム グリーンパーク野球場」が開設されると、プロ野球観戦などの観客輸送のため、線路を敷き直し、三鷹駅からの国鉄「武蔵野競技場線」として生まれ変わりましたが、間もなく野球場は閉鎖され、引込み線も昭和34年に廃止されました。
その後、廃線跡は昭和59(1984)年に、玉川上水より北の武蔵野市域の部分が「グリーンパーク遊歩道」となりました。(武蔵野市/武蔵野市非核都市宣言平和事業実行委員会の現地案内板、「武蔵野市内に残る戦争遺跡や跡地をまとめた『平和散策マップ』を発行しました」武蔵野市観光機構ブログ2014年10月31日参照)

御門訴事件記念碑

五日市街道が武蔵大学正門前で左折する200メートル弱手前の右側に、記念碑があります。

この記念碑は、御門訴事件により非業の死をとげた旧関前村・同新田名主忠左衛門(井口氏)らを慰霊すると同時に、その事蹟を後世に遺すために、同事件後24年を経た明治27年(1894)に建てられたものである。碑文の作者である中島信行は、元神奈川県知事として当地方にゆかりが深く、また自由民権運動の推進者として民衆運動に強い共感を示した人物である。
御門訴事件とは、明治3年(1870)、その前年に品川県から布達された社倉制度(飢饉に備えるための貯穀制度)に反対した旧関前村新田を含む武蔵野12か新田の農民たちが品川県庁へ門訴したもので、この事件は当市域における維新直後の農民闘争として、まことに意義深いものがある。(武蔵野市教育委員会の案内板)

なお、坂本龍馬の海援隊で活躍した中島信行は、自由民権運動が高まりを見せると、板垣退助らとともに自由党結成に参加して副総理となり、第1回帝国議会で初代衆議院議長に選出されました。また、関前新田名主忠左衛門らは捕えられ、獄死しました。
武蔵大学の正門から、大学敷地の西側に沿って200メートル進んだ左角の墓地の中に、「招魂碑」があります。この碑は、御門訴事件で犠牲になった人びとを慰霊するために、明治12年(1879)、新田の「総村中」が建立したそうです。

石橋供養塔

石橋供養塔は1841(天保12)年、当地の千川上水に架かる井口橋を、木製から石橋に更新した際の祝意と、部落への悪霊侵入防止の祈願を目的に建立された。深田伊佐夫「千川上水における流域環境の変化と宗教的構築物について」『中央学術研究所紀要』第42号、平成25年11月15日、169頁より)

小金井公園

1940(昭和15)年、東京緑地計画をもとに紀元二千六百年記念事業として計画された「小金井大緑地」が原形です。「小金井公園」として開園したのは1954(昭和29)年1月で、武蔵野郷土館も開館しました。園内には「桜の園」「雑木林」「草地広場」が広がり、日本さくら名所100選に選定されています。東京都公園協会の小金井公園紹介ページに、公園地図、イベント情報、交通案内などが掲載されています。

江戸東京たてもの園

江戸東京たてもの園のホームページに詳しい案内が掲載されています。30棟の建物の内部を見学でき(補修中の建物を除く)、昭和12年建築の常盤台写真場ではスタジオで記念写真を撮ることができ、たべもの処「蔵」では武蔵野うどんやお弁当を食べることができます。また、洋館デ・ラランデ邸のカフェ「武蔵野茶房」では、クラシックな室内や明るいテラスで喫茶や食事を楽しめます。入園料が必要ですが、建物を見てまわるだけで1時間はたっぷりかかります。

小金井公園からの帰り

バス利用

JR中央線の武蔵小金井駅、東小金井駅、三鷹駅、西武新宿線の花小金井駅へ、バスが頻繁に出ています。ただし、それぞれの行き先によって乗車するバス停の場所がちがうので、案内所などでご確認ください。

歩く

JR中央線の武蔵小金井駅、東小金井駅へは、それぞれ約1.7キロメートルです。西武新宿線の花小金井駅へは約1.1キロメートルです。

ちょっと立ち寄り。

 

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